死んでも星にはなりません

更新日:10月17日

西日本新聞「こだま」にありました投稿記事

をご紹介いたします。


「星になった母、ありがとう」

母が76歳で永眠した。•••••(中略)•••••

通夜で坊さまが説く「人が死ぬのは悲しかですねー。最近つらい事件も多かですもん。たたかれたら痛い事を知らんからですよ」と、孫たちに命の尊さを語ってくれた。(中略)

葬儀の後は、初七日を終え、私は家族と福岡に帰った。バスを降り自宅へ帰る途中で、小四の娘が「今日はお宝を日記に書く」と言うのである。

「ばあちゃんの事を書くと」と聞くと、「うん!」と答える。仏様になって天に輝く母ちゃん星に、「母ちゃん、ありがとう。この子ば、ずーっと見守っとってね」と語りかける。ー〈福岡県44歳男性〉



◉新聞に投稿される方ですから、それなりの教養がある人でしょう。しかし、宗教となるとこの程度の理解なのです。仏さまは星にはなりません。

仏さまになるとは、【他を救うはたらきをするもの

になる】ということです。

自分の宗教をしっかり学んでいただきたいものです。


もちろん、ペットちゃんが亡くなられても、《虹の橋をわたりません》当然ながら《天国に行く》こともありません。※フランダースの犬を見た記憶が強すぎるのでしょうね。


私たち人間も、その他さまざまな命がさとりの世界へ参ることは阿弥陀さまの大慈大悲のお心におまかせするしかありません。

《死ねば仏》はありません。

死んだだけで仏さまになるには、生前に阿弥陀さまのご本願(他力本願)の信心をいただけた人しかありません。

こちらが頑張っても【地獄】にしか行き場所は無い生き方しかできません。それを仏教では【凡夫】と言われるのです。


私の地獄行きがわからない人に阿弥陀さまを受け入れることはできないと思います。

阿弥陀さまのご苦労は並大抵ではないでしょう。


《死ねば仏》

⤵️

【弥陀の本願を信じ、念仏もうさば仏になる】

『歎異抄』の言葉が語源と聞いています。

それを仏教も知らない自分勝手な論じが、【弥陀の本願を信じて(南無阿弥陀仏をとなえる)】を無視して作った言葉だそうですよ。


人間って•••、いつの世も自分勝手なのであります。


しかし、それを阿弥陀さまは事前にご理解くださった上で仏さまになっていてくださいます。

待っていたってしない、できない私たちでは到底間に合いませんから、私たちの親のようなはたらきをして【南無阿弥陀仏】を届けて耳に聞かせてくださいます。

この愚痴や他人の悪口ばかり言う私の口に【南無阿弥陀仏】と称えられるようにしてくださるのです。


私自身、ひさしの親を見送る悲しみの中、ただそれを毎日毎日お念仏を称えながら自問自答しております。

この頑固者の私が南無阿弥陀仏を声に出して日々を過ごすようになったのも、我が親が55年かけて知らしめてくださったおかげだと思いますよ。


きっと父も母も、還相の仏さまであったのでしょうね。仏さまの回向とはこのようなものじゃないのでしょうか。

《仏のことはほっとけ!》みたいなことしか思えない私なのですから、仏法を聞くとか、そのために寺に参るとかもしない、できない。

これではいつまで経っても埒が開かない。


だからこそ、阿弥陀さまのひとりばたらきがあるのでしょう。

だって素直じゃないんだもん。

阿弥陀さまが敢えて、お父さんやお母さんの姿になって私の前にいてくれたんだと。

叱咤激励を繰り返す中で、ワガママで素直じゃない私が阿弥陀さまのお願いを聞く人になるように、少しずつ少しずつ、手立てをしてくださったんだと私はお味わいしていますよ。


そうでもなければ、学もない、素直でもないこの私が南無阿弥陀仏などとお称えできるはずはありませんからね。


宗祖親鸞聖人さまは、

【不可称 不可説 不可思議の】と、おっしゃっておられます。


️皆さま、いいですか!南無阿弥陀仏をいただかねば決して死んでも仏にはならないのです。

そして仏に会えるチャンスは「人間」として生きている今しかないのですよ。


南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

閲覧数:29回

最新記事

すべて表示