小欲知足の心

更新日:2021年10月25日

夜分に失礼します。明日は朝イチでまた湘南へ行かねばなりません。土日月と三連チャンはさすがにベリーハード。

疲労困憊です。

しかしながら行かねばならないのです。


寝る前に一言だけ。


コロナ禍もワクチン接種のおかげと皆さまの生活様式のおかげでかなり新規コロナウィルス感染は減って参りましたね。

それでもこの反動的な人の動きは必ず変異種が入ってくればまた「波」がやってくるでしょう。


人間の欲望が暴走しないことを願わずにはいられません。

「欲」を持つことは人間命を全うするにおいては大切なことです。


しかし度を過ぎれば【短命に終わったり長患いをしなくてはならない】

健康的な生活が、皆んなの願いであり最高の目的でしょう。


『法華経』の中に、「悉有仏性」(しつうぶっしょう)

生きとし生けるもの全て仏性を持っている。

この【仏性】(ぶっしょう)が欲を抑えてくれます。


【小欲知足】(しょうよくちそく)

足るを知れ‼️


人間は仏性という理性を持って他人に迷惑をかけない生き方ができます。


でも仏性はいつでも現れません。

現れるときは、自分が究極に陥ったときにしか現れません。


病気になって初めて気づくのが健康の有り難さ。


自分が究極に陥った、困ったときにならないと気づかないのです。

仏さまの教え

経文

毎日お経を読誦することで、「仏性」に気づき健康な生き方ができるのです。


⭕️宗祖親鸞聖人は、阿弥陀さまにすがる心を表すために【六字の名号】(南無阿弥陀仏)を称えることを大切にされました。


最近では、浄土真宗のお坊さんですら、仏さまに手を合わせても、【称名念仏】が無い、何とも言えない違和感を感じています。


浄土真宗は合掌=お念仏をお称えして、阿弥陀さまに御礼申すのです。

皆さまも、感謝=有難う❗️の際は、声に出しますよね❓

黙って御礼申す人はありません。


だから、合掌してもお念仏が声にならない方は有難うございます🙏の思いが欠けているか、もしくは•••••じゃないかと思っています。

だから、合掌の時に「皆さま、ご一緒にお念仏申しましょう。」などと、掛け声が必要となるのでしょうね。


喜び、感謝のお念仏を申す人は、どんな時も、周りに誰がいても、「南無阿弥陀仏」を声にしています。

だって私の持ち物ではないですやん。

阿弥陀さまからのいただきものだから。

いただいたならば、必ず声になってくださるのが他力のお念仏であります。


浄土真宗のお坊さんが黙って合掌礼拝している姿は違和感しかございません。

別に文句を言っているわけじゃなく、教義に反しているんじゃないの?って思うのですね。

他人や門信徒さまにご法義をお伝えするのが浄土真宗のお坊さんです。

それならば先ずは私が【真の念仏者】になるべきだと私は思っているだけであります。


南無阿弥陀仏、ナンマンダブツ、なまんだ〜ぶ。


この私の愚痴ばかりの、他人の悪口は軽やかに喋るお恥ずかしい口が南無阿弥陀仏と動いて、ナンマンダブツと声となってくださるなんて素晴らしいじゃないですか。

阿弥陀さまがご苦労くださいました。


追伸

築地本願寺の掲示板にこんなことが書いてありました。

怒りに効くワクチンは本当に無いのでしょうか。私のお味わいとは違います🙏

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