人生の節目に改めて

皆さま、こんばんは。

いやぁ、今日も寒かったですね。

朝から青梅の霊園までお参りに行きましたが、

寒さ対策していきましたがガタブルでした。


しかしながら精一杯のお勤めをさせていただきました。この度のご縁も不思議な繋がりで継続してご縁を結ばせていただいています。


さて、今日は成人の日でしたね。

街ゆく振袖姿の女の子たち、晴れ舞台は曇り空の下、かなり冷えていましたがさぞ嬉しかったことではないでしょうか。

そんなことを思いながら見守っていました。


ニュースでは相変わらず新成人者の飲酒による追突事故やハメ外しの報道がありました。

成人するということは、大人として社会的責任を自らが果たしていくことであります。

国民の義務

①教育 すべての国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。

②勤労 すべての国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。

③納税 すべての国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。

国民の権利

①生存権 健康で文化的な最低限度の生活を営む権利

②教育を受ける権利 

③参政権 政治に参加できる権利


※新成人の皆様、もちろん学校でこれらについては既に習っておられるでしょうが、改めて勤労、納税、参政権は必ず怠らずに勤めていただきたいですね。確かに参政権は放棄することは可能ですが、日本国民として日本の未来を担うためにも一票を行使する行動こそが、大人の行動であると私は考えています。(ちなみに住職は参政権だけは一度も放棄したことはございませんよ笑笑)


さて、では浄土真宗のお話をいたします。

『歎異抄』には、

「親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひとの仰せをかぶりて信ずるほかに別の子細なきなり•••••煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもつてそらごとたはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします」としるして、親鸞聖人がこの《ただ》という言葉をいかに大切に使っておられたかが伝えられてあります。


親鸞聖人の仏道はまさに、《唯》の一字でつらぬかれていたといってもいいでしょう。


人の一生は、長い短いの別はありましても、それぞれが一度きりの待ったなしのかけがえのない人生です。(例外なく)

つまりは、どんなことがありましても何ら不思議などなく千差万別する無常世界の苦悩の中に生死していかねばならない私たちです。

このような人生を生きねばならない私たちのために、阿弥陀如来さまは、「あなたの人生、どんなことがおこってくるかは知らないけど、どんなことがおこっても南無阿弥陀仏で必ず救いとるから安心してくれ。」と、念仏往生のご本願を立ててくださいました。


親鸞聖人は、これを受けて自身の九十年の人生を「南無阿弥陀仏」とお念仏を称えながら歩まれたのです。苦難の時もどんなときもです。


いかなる時、いかなる場、いかなる人、いかなる苦悩•••それぞれを縁として、ただ念仏して、と阿弥陀如来さまはおっしゃっておられるのです。


さぁ、ご一緒にお念仏をいただきましょうか。

いただいたならば必ず、この口からお念仏が声となって出てくださいますよ。

南無阿弥陀仏、ナンマンダブツ、なまんだぶつ。

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