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一年分いただきました

皆さま、夜分に失礼します。

昨日の報恩講に引き続き、ご講師を囲んでの忘年懇親会は大変賑やかな集いとなりました。

すみません。しこたま飲みましたので武蔵藤沢駅からかなりの千鳥足で帰りました。

途中、こむら返りになりまがらも何とか遭難せずに帰ってきました。

ありがとうございます。


今回の試みは超法寺初のことばかりでしたが、お参りくだされた方々のおかげにて無事に終えることができました。未熟でいたらぬ住職ですみませんでした。私なりに精一杯なのですがきっと皆さまは不満が多かったことだと思います。たくさん勇気を出しておっしゃってくださったこと、さすがに私の心に突き刺さりました。酔っ払いではありますが、突き刺さったので、ちゃんと理解しました。

今後に生かしていきたいと思います。


将来の未来図についてのお尋ねがありました。

今の私にはお恥ずかしいかな、こうしたいというはっきりとしたビジョンはありません。

「今」あるご縁をただ精一杯にこなすことで先への思いはまだはっきりとしたものがありません。そんなんじゃダメじゃん!って思われたかな。でも、いい加減な物言いは嫌いであります。あ〜しんどい。


でも頑張って書きますぞ。

それから、住職はもっとどんな方にもわかる話をしないといけないとも言われた。

ずっとこれは長年のテーマであります。

さまざまな先輩や後輩たちのお取次を参考にしてきましたが、なかなかまだきちんと落とし込めていません。

師匠の山口県下関市の福田康正先生の切り口はかなり一般に寄せておいでと思い学んできました。今や私のお取次の骨格となっています。

それでもまだ、誰にでもわかる話をして欲しいと言われますが、すぐには無理だしそれだけの引き出しは持ちえません。

なので、ご容赦くださいませ。


その他についても今後は誠意を持ってさせていただきます。ぐうたらでごめんなさい。

あ〜、ヤバし、飲み過ぎたぁ。

普段飲まないから余計にキツイ。

でも楽しいお酒はいいですね。


実は最近見つけた玄関マット、「知足」って書いてありました。珍しいですよね。

仏教には【少欲知足】という言葉があります。

[足るを知る]という話をご紹介しますね。


学生の頃、日本へ留学されていた友人をご旧跡の福井県吉崎[蓮如上人ゆかりの本願寺の別院があります。肉付きの面で知られます]へ案内したことがあります。

せっかく来たからと石川県の和倉へ泊まった時の話です。夕食時、私たちに前に座っていたお客さんが、「料理が少ないので何か注文したい」と言われました。

すると、「事前に申し込みをされていないので対応できません。」と従業員は答えていました。すると、お客さんは、「たったこれだけかよ」と、ブツブツ文句を言いながら食事をされていました。

そのやりとりを留学生の友人に話すと、「私は、十分に満足していますよ」と、ニコニコ笑いながら美味しそうに食べていました。

同じ料理を食べていながらも受け止め方は違うのだな、と思いました。


実は法政大学大学院が、2011年に日本で初めて幸福度の調査を行いました。

その際の一位は福井県、二位は富山県、三位は石川県でした。

いずれも北陸地方だったのが不思議でした。

昔から北陸地方は浄土真宗王国と言われていますが、仏教の影響が大きい土地柄です。


お釈迦さまの言葉に、

【足るを知るものは、貧しといえども富めり。(とめり)】

【足るを知らぬものは、富めりといえども貧し】とあります。 


最近では、仏教が身近ではないのかも知れませんが、まだ北陸地方の土地には仏教が身近で仏教が染み込んでいて、こういう考え方を育む土壌があるのではないでしょうか。


「ありがたい」、「いただきます」、「勿体無い」、「おかげさまで」という言葉に表されるように日本人は仏さまから、「生かされている」思いを大切にしてきました。

私たちの心を豊かにするのは、こういった言葉を大切にしながら生きていくことではないかと思うのです。


永六輔さんは、自身の歌でこう言われています。

「生きるということは、誰かに借りを作ること。生きていくということは、その借りを返してゆくこと。誰かに借りたら、誰かに返そう。誰かにそうしてもらったように、誰かにそうしてあげよう。」


「生きていくということは、誰かと手をつなぐこと。つないだ手のぬくもりを忘れないでいること。めぐり逢い愛しあいやがて別れの日、その時に悔やまないように、今日を明日を生きよう。」


「人は一人では生きてゆけない。誰も一人では歩いてゆけない」


以上が、永六輔のデビュー曲『生きているということは』の歌詞です。

さすがは永六輔さん、浄土真宗のお寺の出だけのことはありますね。

ま、私も同じくそうではありますが、このような素晴らしいものは持っていません。

老若男女問わずに皆さまに味わっていただきたいです。


誰にでもわかる法話って口でいうほど簡単にはありません。なぜならば、人間は複雑にさまざまな感情や思いを持ち生きているからです。

だから、聖徳太子さまのような対応は私にはできません。言い訳しますが、ある程度に焦点を当ててのお取次しかできないのです。

今後の課題としたいですね。


さて、さすがに限界です。

明日は久喜市までのお参りがあります。

有難いことで住職指名をいただいていますので、なるべくベストな体調でお参りをしてあげたいのです。おやすみなさいませ。

この度、ご一緒したすべて方に感謝します。 ナンマンダブツ。



追伸

あの二人はちゃんと帰れたのかな。心配。

お見送り門徒さんの「義」には頭が下がりました。



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