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執筆者の写真超法寺の住職

わたしのいのち

皆さま、こんばんは。

今日も良い天気に恵まれました。

またポスティングにあくせくしました。

東町五丁目はほぼ終わりました。

まだまだ先は長いけど、どこに何があるかなど発見も多いです。

ただ、まだ問い合わせ、依頼には繋がっていません。

今は超法寺があると言うことを一人でも多くの方に知っていただきたいのです。


さて、この度は『学仏大悲心』大神信章著から「わたしのいのち」をご紹介します。


◉「わたしのいのち」

わたしの胃袋の中に、今日もわたしを生かしてくれるいのちたちが、入ってわたしが有る。そのいのちを生かす、また無数のいのちたちが有る。大きないのちが小さないのちを奪って生きることは誠に残酷だが、奪われることによって、小さないのちは大きないのちそのものになる。

仏法を聞くと、いのちといのちの境目が見えなくなり、しまいには、これがわたしのいのちーと握りしめた世界すらあやふやになる。

境目が消えて、死にたくはないが、死ねるわたしに生まれ変わる。


感慨深い言葉に感じられました。

よく意味がわからない人は、仏法を聞いてくださるといいよ。

ぼんやりと聞くのではなく、言葉のその奥にある意味を考えながら聞いてほしい。

言葉尻ばかりに目をやると本質がぼやけてしまいます。

こちらに主眼を置くのではなく、あちら側(阿弥陀如来)の願いを通して私を見つめる時にこそ、今まで見えなかったものが見えてくるのです。

当たり前などない世界を知ることは大切ですね。

きっと、金子みすゞさんの世界もこういうものではないかなぁ、と思いました。


南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。

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