皆さま、おはようございます。
今朝は寒いですね。う〜ん、気合いが入ります。
来週から春のお彼岸ですね。
お彼岸についてご紹介します。
「パパ、お彼岸って何するの?」
「それはお墓の掃除をする日だよ。」
「いつも、ほったらかしにしてゴメンね。」
「罪滅ぼしに綺麗に磨いてあげような。」
「これでまた次のお彼岸まで安心だな。」
「さて、じゃあ帰ろうか。」
とある親子の会話です。
皆さまはお彼岸はどのような行事だと思いますか?お彼岸中は何をされていますか?
お彼岸は墓掃除の日ではありません。
またお彼岸は、ご先祖を供養する日でもありません。
そもそもお彼岸は日本独特の仏教行事です。
その歴史は古く、聖徳太子の頃に始まったそうです。しかしお彼岸が年中行事になったのはかなり後になってからです。
期間は、比較的過ごしやすい(暑さ寒さも彼岸まで)春秋の年2回、春分•秋分をはさんだ前後3日間、計7日間営まれます。
仏道修行に適した期間として、日本では法会が設けられました。
ちなみに「彼岸」とは「彼の岸」(かのきし)、【さとりの世界】、私たちのいる世界は【迷いの世界】「此の岸」(このきし)と言います。
しかしながら、私たち(浄土真宗)の教えでは、《煩悩にさえぎられて自分の力で修行して善を積むことができない》ことを気づかされていますね。
浄土真宗は、大きな阿弥陀如来さまの慈悲=南無阿弥陀仏のお念仏によってのみ、さとりを開かせていただけるのです。
だからこそ、過ごしやすい時期に《阿弥陀如来さまのお徳を讃え、み教えに遇う(あう)大切な仏縁としてお勤めをし、そのいわれを聞くことを大切な行事としています。
以前は浄土真宗では、お彼岸を【讃仏会】(さんぶつえ)と呼んでいましたが、現在は多くの人に親しんでいただけるように「彼岸会」と呼んでいます。
お墓参りが決して良くないとは言いません。
ご生前のご先祖を偲びつつ、阿弥陀如来さまのご本願の尊さ、有り難さを知らされお念仏=南無阿弥陀仏を称えながら、仏法を聞いて安心して日々を生きていくことを大切にしてくれよ、とご先祖の願いを聞いていくことを再認識させていただきたいものですね。
浄土真宗では、お念仏を申さず、仏法聴聞することなく、自分の都合、理屈の中に生きていくことが一番良くないことだと言います。
ご先祖は、自らの「死」を通して、諸行無常の理(老•病•死)を私たちに教えてくださいました。
「コロナ禍が早く終わればいいですね」と、よく聞きますが、それはそうですが、どんなにそう願ってもなるようにしかなりません。
そうなりたいのなら嫌でもワクチン接種を受けて、面倒でもアルコール消毒を欠かさず、うがい、手洗い、マスク着用を忘れない自身の生活態度を精査することが一番ではないでしょうか。
それを怠っておいて、コロナが憎いなど恥ずかしいですよね。
そういえば広島県のある市議会議員が「マスク着用は強制されるものではない!」と、飛行機の機内で大声を張り上げ他の乗客、乗員に多大な迷惑をかけても謝罪もなく自身の都合だけを大義名分にしていましたよね。あの市民を代表、代弁する立場の大人の言動を子どもさんは尊敬するのだろうか。否!
大人って自分勝手なんだね。
じゃあぼくたちもそうやっていいんだね。
本末転倒な事案です。
社会とは自分の都合を刀にして振り回していいものではございません。
皆で協力しあい助け合いながら、目に見えないウィルスから身を守ることが最優先されるべきではないかと私は考えます。
確かに賛否はありましょうが早期の収束のためには政治家の先生方のお力添えが必要であります。
仏法聴聞することは、お彼岸のことだけではなく、社会に生きること、人間として生きていくことの意味をしっかりと尋ねていくことが大事ではないでしょうか。
超法寺では28日、14時から春季彼岸会をお勤めいたします。
また、住職は21日に築地本願寺あきるの分院さまの春季彼岸会•総永代経の布教(法話をする)に出向いたします。
是非ともお参りされ、一度お話を聞いてくださいませ。皆さまのお顔が見れましたら住職は大変喜びます。
それでは今日も一日精一杯過ごしてまいりましょう。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
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