皆さま、こんにちは。
今日も暑くなりましたね。
お洗濯日和です。
皆さまは、お買い物をした時にレジの店員さんに「有難う」って言っておられますか?
意外と大人ほどしていないように感じます(住職私見)
私は大きな声で必ず感謝の言葉をお伝えしますよ。
さてバスに乗った時の話です。
学校帰りの小学生が乗ってきました。
その子たちはみんな、バスを降りる時に運転手さんに定期券を見せて、大きな声で「有難うございました」と言っておりていきました。
とても素敵な光景でした。
運転手さんも思わず笑顔で「はい、気をつけてね」と声をかけていました。
またそのやりとりを見ていた他のお客さんたちもニコニコ笑顔になりました。
たったそれだけのことなのにバスの車中が笑顔で満ち溢れたのです。
「有難う」の一言って大事なんだなぁって思わずにはいられませんよね。
お金を払ってバスに乗っている小学生は、バスのお客さんです。本当は運転手さんの方が「有難うございました」と言うべきかも知れませんよね。
でも、元気な声で「有難う」と言う、あの小学生を見ていると、素直に感謝を言葉にする素晴らしさを感じます。
毎日の暮らしの中で、色々なことが当たり前のようになってしまっているからか「有難う」の言葉を忘れていることがあるのでしょうか。
昨今の犯罪や争い事は、こういう些細なコミュニティを怠ってしまっているところにあるのではないかと私は感じています。
ご近所の方々にお会いして「こんにちは」って声をかけても知らんぷり•••悲しいじゃないの。
知っているのに、聞こえているのに挨拶を交わせないなんて。それでお互いがしあわせ気分になるのでしょうか。
きっと家庭内、家族間でもコミュニティをしていないのでしょうか。
私は親から「知らない人でも会ったら必ず挨拶をしないさい」と言われて育ってきました。
やはりすべては家族、家庭なんだと思う。
大人が感謝、御礼を実践しないのに若者がするはずありませんよね。(反論ありますか?)
親に言われていう「有難う」は感謝してはいません。
縁あればこそ出会えたお互いじゃないですか。
それはレジの店員さんだって縁があったから会えたんだよ。
お寺の世界、仏教の教える道とは【縁】であります。浄土真宗でお称えしているお念仏【南無阿弥陀仏】はお題目とは違います。
仏さま、地獄[自業苦]行きの種ばかりこしらえねば生きられない煩悩具足の凡夫、その私を先手をうってお救いしてくだされたことへの【感謝】【御礼】なのです。
真実から目を背けて生きていこうとする私に、「大丈夫だよ」って「まかせよ救う」とはたらき続けていてくださる仏さまへの感謝が言葉となっています。
だから、仏さまへの感謝がない人にはお念仏【南無阿弥陀仏】はお称えできません。
小学生の子どもさんだって大きな声で「有難う」って御礼が言えるのに大人ができないってなんか恥ずかしくありませんか?
世の中の大人が挨拶を普通に交わせるようになったら日本って犯罪の少ないしあわせな国になるはずだと私は思います。
私はこれからも実践していきますよ。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
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