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大心海

執筆者の写真: 超法寺の住職超法寺の住職

皆さま、こんばんは。

なんか冷えますね。冬に戻ったような寒さに震えています。皆さまもどうぞ体調を崩さないようにご注意くださいませ。


さて今日は危うくやらかしてしまうところでした。川越市の霊園へお参りだったのですがナビ検索がおかしかったみたいで、私は「霊園」と入力したはずが案内は「墓園」となっていたようで全く違う場所へ着いてしまいました。


初めての場所でしたので、何気なく受付で確認したら違うことに気づき慌てて向かいましたが、これまた霊園の入り口表記が無く同じところを何周もした挙句にめちゃくちゃ狭い路地に入り込んでしまい冷や汗でした。

しかしながら何とか遅れずに済んだので助かりました。


やはり予定より早く到着しなくてはならないのと、事前によく調べておくなどしなければならないのですよね。(性格上それができない私)


皆さま、道に迷うなら人に尋ねるとか対処のしようがありますが、どうでしょうか、人生に迷ってしまったらどうしますか。

それでなくても私たちは基本的に自分は正しいと思うような生き方を普段からしていますから、なかなか他者の言葉が入ってきません。


仏教のみ教えを聞くと当たり前のように「愚か」とか聞きますが、皆さまは自分を愚かだなんて思っておられるでしょうか。

いやいや、私は良い学校を出て、良い会社に勤めていますから〜などと思いませんか。

しかしながら仏教で「愚か」とは、そのようなことを言われているのではありません。


まさに自分の人生に迷っていることに気づけないことを「愚か」というのです。

生まれたら必ず、「老いる」のに「まだ若い」と思い、「飲酒喫煙、暴飲暴食、ストレスをためる」生活をしているのに「病気になると驚いたり、不安に思ったり」、「必ず死なねばならない」のに、「死んだらどうなる自分なのかが問われない」


挙げ句の果てには、死ねば天国とか仏とか•••••どこなんですか。それなのにお盆ともなればご先祖は地獄の釜が開いて帰ってくるなどと思い施餓鬼をしてみたり、提灯を持ってお墓へお迎えに行ったりするのですね。

もう21世紀だというのに未だにそんなことを当然のようにしていませんか。


中国の善導大師は、末法の時代、濁りきった(欲望の暴走)世の中のために、あらゆる世界の仏がたに証明してほしいと願われ、親鸞聖人は大きな海のような心を持つ阿弥陀如来が、善導大師になりかわってこの世にお出ましになられた、と見ておられます。


「海」というのは、一つの物のように手に入れるものではなく、私が飲み込まれていく、包み込まれていく、とてつもない空間なのです。

その「海」に身をまかせていくしかない、そういう感覚であったのでしょう。


『高僧和讃』に、

大心海より化してこそ

善導和尚とおはしけれ

末代濁世のためにとて

十方諸仏に証をこふ


親鸞聖人は「海」という言葉を使われています。「海」には二つの意味があります。

一つは、「難度海(なんどかい)」、「愚痴海(ぐちかい)」、または「苦海(くかい)」、「生死の大海(しょうじのだいかい)」、などのように使われて、人間の苦悩をあらわしています。

もう一つは、「大心海(だいしんかい)」、「信心海」、「本願海」、「真如海」、「一乗海(いちじょうかい)」、「宝海(ほうかい)」、「智海」のように、阿弥陀如来のご本願、智慧、お心を示しているものがあります。

【弥陀智願の広海(みだちがんのこうかい)】とも使われています。

広くて深い命の根源でもあり、とてもすべてを知り尽くすことができないのが【海】なのです。


親鸞聖人は、このような海のなかで、自分を救ってくれるのは阿弥陀如来さまのご本願という船のみだと示されるのです。


『高僧和讃』に、

生死(しょうじ)の苦海ほとりなし

ひさしくしづめるわれらをば

弥陀弘誓(ぐぜい)のふねのみぞ

のせてかならずわたしける


と、生死を重ね、繰り返しながら六道[地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上]を輪廻する苦しみは果てしなく限りがない。

その苦しみの海に永く沈んでしまっている私たちを、阿弥陀如来が必ず救うと誓い願ってくださっている【船】のみが、私を救いの船に乗せて救ってくださるのです。


これは私からお願いすることではなく、先手の願いを立てられた阿弥陀如来の側から私たちにはたらきかけられているのであります。


大心海、なんかお相撲さんみたいですが、とても素晴らしい、ありがたい言葉です。

ですから浄土真宗のお墓に【大心海】と彫られていることがあるのですね。

私たちは、自分だちの思いばかり彫りたがりますが、亡き人(南無阿弥陀仏)の願いこそを彫り、感謝申させていただく想い、南無阿弥陀仏を声に称えていく、そのような仏縁に繋げていけたら皆さまのご先祖、故人さまはさぞお喜びくださるのではないでしょうか。


私はそう思っていますよ。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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