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執筆者の写真超法寺の住職

サヨナラしない世界

更新日:1月10日

皆さま、おはようございます。

今朝も良い天気に恵まれました。

おかげさまですね。しかし避難生活されておられる方々には今日も雪で寒い中、不安な朝を迎えておられることでしょう。改めてお見舞い申しあげます。

震源地辺りはこの度の大震災により、港が隆起して港が陸地になっていたりして生活様式が変わってしまったようです。また朝市で有名な輪島市では本格的な捜索が始まり、多くの方々が発見されています。大変な被害だったようですね。まだまだこれから捜索が進み不明者が見つけられることでしょう。しかしご家族が見つかることで次のステップに進めることでしょうか。それでも津波で見つからない方もあるのかも知れません。

確か東日本大震災でもまだ見つからない奥さまを未だに探しておられる方の記事を見ました。

心が締め付けられるような思いがします。

私はお辛いでしょうが、またお遇える道があるということをお伝えしたい。


南無阿弥陀仏の阿弥陀仏のご本願を我が身にいただいたならばまた必ず亡き人に、懐かしいあの人とお会いすることができます。


私たち人間は悲しいかな、この世に生まれたならば必ず命を終えていかねばなりません。

ただ、死ぬのは私自身ではなく、私を形成している身体が(煩悩具足の凡夫の身)が死んでいくのです。私自身は南無阿弥陀仏の阿弥陀仏の大慈悲に抱かれ、浄土の世界に生まれていくのです。だから【往生】と言うのです。

仏教では「生まれていく」と言うのです。


この真実の世界を知り、私が諸行無常の娑婆世界に生きていることを受け止めていくことを理解することが大切です。

これは、どんなに私は若いからとか元気だからと我が身を誇ってみても、私の娑婆の縁が尽きれば待ったなしに今夜でも命を終えていかねばならないことであります。

だからこそ、今あるこの命が尊いことが知られます。かけがえのないこの命をどこへ向いて生きていくのかを知ること、何を心のよりどころとして生きていくかを尋ねていくことを仏教は私に教えていてくださいます。


一番悲しいのは、必ず命を終えていかねばならないのに、その事実から目を背け、自分勝手な思いが真実だと誤認して生きていこうとすることではないでしょうか。

お経には、【倶会一処】(くえいっしょ)と説かれています。お浄土へは参るべきものなり。

そのおいわれを知らずに生きることはとても勿体ないことであります。


この世界をずっと生きて行きたいとは思うけれど、こんな私も常にみ守られているんだという思いがあれば、「この人生を精一杯生きていこう」と勇気をもらって生きていけます。

懐かしいご先祖さまたちに常に励まされていると思うことができたならば、いつか私も皆さまと別れて行かねばならない寂しさを乗り越えていくことができるのではないでしょうか。


亡き人が還相(げんそう)のおはたらきとなって私たちを救おうとあの手この手をもってはたらき続けていることをお味わいさせていただきましょう。

八代亜紀さんがお亡くなりになられました。

彼女の歌声にどれだけ心を癒されたか。

衷心よりお悔やみ申し上げます。

そしてありがとうございました。

またお遇いしましょう。


ナンマンダブツ、南無阿弥陀仏


さあ、私の娑婆の縁は今日尽きるかわからないが、生きることを許されたなら精一杯努めて参ります。南無阿弥陀仏

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