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父の故郷、北広島町へ

執筆者の写真: 超法寺の住職超法寺の住職

皆さま、こんばんは。

晴れ男の本領発揮です。

おかげさまにて良い天気に恵まれました。

今日は友人との熱い語らいを経て、父の出身寺へ。もう10年以上ぶりです。

きょうだいたちは先着していて、本堂の清掃や明日の追悼法要の準備をしていてくれました。


私は途中でお花と供物の果物を買ってきて、黙々と活けました。

いやぁ久しぶりだなぁ。

こんなにたくさんの仏華を活けるのは実家寺を出て七年で初めてですよ。

超法寺にはまた小さな華瓶しかないのでね。

嬉しいなぁ。


普段はあまりお寺には人が寄らないというのに、中も外もお墓も綺麗にしてくださっています。皆さま父の寺の門徒ではないのに「私はこのお寺が大好きなの。」って笑いながら、黙々とあちこちをお掃除してくださいます。

「このお寺が無くなるのはやっぱり寂しいの」、「でも現実には維持、護持していけないのもわかるから」と、寂しそうにおっしゃる。


私も生まれてからずっとこのお寺で育ってきましたから残念でなりません。

爺ちゃんが、婆ちゃんが、父が護ってきたお寺だからね。


皆さま、お寺の存在ってそんなものなんですよ。葬儀や仏事をするだけじゃなくて日々の生活の中に南無阿弥陀仏をいただきながら身近に関わっていくものです。

田舎とか都会とか大きいとか小さいとか、新しいとか古いとか関係ないんです。

言葉では表現しにくい存在(お寺)なのです。


僕がこのお寺で見せていただいたものは、朝早くから誰ともなく自然とお寺に来てくださり、笑顔いっぱいで和気あいあいの雰囲気がありました。

私が初めて父の寺で布教をさせていただいた時にも、後五分で終わるというのに婦人会の方はイスを持ってきてお聴聞されました。

また、もう終わるというのにお爺さん(最長老門徒)がスキーのストックを杖代わりにしてお寺へ駆けつけて、やはり真摯に仏法聴聞をされるのです。

これが広島の安芸門徒たる姿なのです。


【実るほど 頭をたれる 稲穂かな】


昔、とある山口県大竹市の飲み屋さんのトイレの壁にこの言葉が張ってありました。

浄土真宗の世界観って素晴らしいのです。


明日は父の追悼法要を長男の私が導師を務めさせていただきます。

いつものように原稿なしですべてアドリブでお取次させていただきます。

多分、私の人生で父の追悼法要で導師を務めるのは二度とないだろう。

ま、超法寺ではありましょうがね。

貴重な時間を皆さまと共有させていただける光栄であります。

また、先日は母の兄(長男)、伯父さんが九十歳でご往生されました。坂戸市に住んでいましたので、つい先日も『宗報』に九十歳になったと掲載されていたので電話で話をしたばかりだったのです。

だからそんなに寂しくはありません。

長い間お世話になりましたね。

大事にしてくれてありがとうございました。

「マサくんは、本当に偉いなぁ。よく頑張っているね」と言ってもらったのがつい先日のこと。


【明日ありと おもう心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは】


まさにこのは諸行無常であります。

皆さまも今側にいる人を大切にしてあげましょうね。必ず居なくなりますからね。

寂しいものだよ。


我が父は、私に厳しく、本当に厳しく、腹が立つほど私に当たる親でした。


【釈迦弥陀は慈悲の父母】(和讃)


もうあの厳しかった、当たりのキツイ父はこの世には居てくださいません。

ブログを書きながら涙が止まりません。

お父さん!もっとたくさん話したかったよ。


南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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