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執筆者の写真超法寺の住職

声の仏さま

皆さま、おはようございます。

朝から風が吹き荒れています。寒くなりました。そして今日から春のお彼岸です。

暑さ寒さも彼岸までのお彼岸であります。

マイナス金利が解除されそうな話題の中で嵐の前の何かでしょうかね。

短期金利はさすがに上がるでしょうね。

アメリカが金利を下げてくれば円高になって輸出企業はダメージを受けるでしょう。バフェット推奨の商社株がどうなるのか、半導体関連がどうなるのか、新NISAへの影響がどう出るのか、否応なく気になりますがなるようにさなります。少なくとも宝くじやパチンコなどやっている場合ではないでしょうね。


生きていくことの意味合いをしっかりと訪ねていくことが求められているのでしょう。

「何のために生まれたのか」

「何のために生きるのか」

わからないなんて、そんなのは嫌だ。

『アンパンマンのマーチ』にも歌われているじゃないですか。


皆さまは子どもさんから問われて答えを持っておられますか?

思い通りには生きられません。

私たちはなるようにしか生きられないのです。

そして死んで終わっていく人生ではありません。死ぬとは何か?わかりますか?

【往生】するとは何か?

天国じゃないよ、虹の橋なんか渡れないよ、勝手な願望ばかり言ってないで「今」を見つめてください。

ご先祖さまはお墓に眠ってなんかいないよ。

ただ生前を偲ぶだけの話です。


明治時代に広島県におられた高松悟峰さんは、

声に姿はなけれども、声のままが仏なり

仏は声のお六字と姿をかえて我に来る

と、仰っておられます。

声になられたのです。いつでも、どこでも、常に私を心配し、願い(弥陀の本願)を私たちに届けてくださる南無阿弥陀仏の仏さまとなられて喚び続け、願い続けていてくださっているのです。

南無阿弥陀仏の意味は、【阿弥陀にまかせよ、阿弥陀の名を呼んでくれ(お前の親になったぞ)、必ず安らぎの浄土に生まれさせ、二度と輪廻転生させない仏にするから心配するなよ】という意味なのです。


地獄(自業苦)行きの生き方を正しい生き方と思って生きている私たち、それに気づくことのできない私たちを哀れみ、自らが先手のはたらき(親だもの)=他力本願のはたらきをもって願い続け、はたらき続けておられるのです。


そのおいわれを聞いて、受け止めながら今を生きていくのが仏法聴聞をすることの意味なのです。自分勝手な思いで聞いていくのではなく、聞かれるまんまを素直に聞いていくのです。

親に喚ばれて、親に願われるまんま、親を知り、親を喚ぶ私にならせていただいた私たちです。それは我が親がこの世から亡くなっても変わることはありませんよ。

亡き人の願いを変わらず聞いて、応えて生きていくのです。それこそが真理であります。


どうぞ、お墓参りをして生前を偲びながら、亡き人の願いは私が仏法聴聞をすることなんだ、南無阿弥陀仏を称えられる私になることなんだと知っていただきたいと思います。


今日は武蔵野市までお参りし、その後整骨院へ行きます。皆さまも良き日をお念仏とともにお過ごしくださいませ。南無阿弥陀仏(-∧-)合掌・・・

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