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行き違い

執筆者の写真: 超法寺の住職超法寺の住職

皆さま、こんばんは。

今日は大移動でした。

超法寺で法事と受けていたのが、ご自宅だった話になっていてY市まで車を走らせました。

普段は滅多に乗らない高速を利用して。

少し混んでいましたが、何とか無事に勤めて帰りました。往復200キロは中々ハードでありました。


何度も確認しても行き違いになってしまうのだから、どうしようもありませんね。

ただ、後にお参りがなかったのがありがたかったです。おかげさまでした。


滅多にこうはならないのになると大騒ぎになります。午後からお寺へ参る予定でありましたIさんには大変申し訳なく思います。

ごめんなさい。


人間には真実はありません。

真実は仏さまというのが仏教の基本です。

それを【煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろずの事みなもってそらごと、たわごと、真実(まこと)あること無きに、ただ念仏のみぞまことにて在(おは)します。】と、『歎異抄』にお示しです。


自分が一番かわいいという煩悩具足の凡夫にも、その凡夫の生きている無常の世界にも、真実なるものは無い。

ただお念仏=ナンマンマブツのみぞ、真実と言われます。


ナンマンダブツは阿弥陀さまのお仕事です。

だから、「お」をつけて、お念仏と言います。

人間の仕事なら真実ではありません。


親鸞聖人は、阿弥陀さまがこの私を浄土に生まれさせ仏にするだめに、ナンマンダブツとなって、私に来てくださったのがお念仏であるといただかれました。


お念仏は、称えているまんまが仏さまのはたらきであります。

お念仏は阿弥陀さまの願いとはたらきです。

だから、ナンマンダブツと口にいただけている人は浄土にうまれるのです。


真実のない人間の仕事では助かりません。

真実なる仏さまの仕事で。

凡夫が浄土に生まれ、仏になるのです。

不思議を通り越して、不可思議とも言われるのは、地獄行きの日暮ししかしない私がどうして死んだだけで仏になんかなりますか?なりゃしませんよ。

ならしない、凡夫(死ぬまで煩悩から離れられない)が仏になるのは、阿弥陀さまの願いを受け入れナンマンダブツを称える身にならせていただけたからに他ならないのです。


お念仏を申させていただきましょう。

ナンマンダブツ




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