布施の心
- 超法寺の住職
- 4月9日
- 読了時間: 3分
皆さま、おはようございます。
朝から良く晴れています。
ただ、早速満開の桜の花びらが待っていました。改めて無常の儚さを感じさせられます。
さて世の中の激動は今も変わらずですね。
こればかりは何を言っても仕方がありません。
それぞれの首領は、自国の益を最大限に活かそうとするのは当然であり、それによっての多少の痛みは堪えねばなりません。
私たち人間は常に[忘却]して生きています。
特に日本人は熱しやすく冷めやすい民族といわれますから、また「しゃーねえな」と受け入れていくだけでしょうね。
皆さまは忘れたかもしれませんが、国鉄民営化、郵政民営化、消費税導入などさまざまな国策が行われました。近年では日本国民には増税を強いていながら、意国民には手厚くしているじゃないですか。米国は自国民を守るための政策を始めています。日本とはまるで逆であります。これから先にきっとどちらの政策が正しいのかわかることでしょう。
以前から不思議ですが、毎年恒例のチャリティ番組は、外国でも行なわれていますが出演者は皆ボランティアでギャラはありません。そこも含めてボランティアなのです。
でも日本はどうでしょうか。
全て多額のギャラを支払っています。
あの笑顔の裏には違う笑顔があるのです。
真面目に募金を集めて持参している人に一体どのような想いで彼らは接しているのでしょうね。
また今フジテレビの問題で芸能界を引退された元スーパーアイドルの某氏は、数多くの多額の寄付をしておられました。叙勲を何度もいただけるほどなんだそうです。それだけ世の中に貢献しても一つの出来事で全て終わってしまう。
我が父は常々、「屁一つだぞ」と言っていました。人の評価なんてあっという間にひっくり返るのです。
あまり他人の目、評価を気にしても意味はないのでしょうね。自分の信念を曲げてまでもする私も実家を出て10年になりますが
さまざまなことがありました。
それでも信念だけは曲げずにきました。
宗祖親鸞聖人も蓮如上人もそうされて決して【迎合】していません。
もちろん、お釈迦さまだってたくさん批判や非難を受けておられていたそうです。
しかしながら賢者と呼ばれる人は決して【迎合】しなかったのだそうです。
南無阿弥陀仏に生きるとはそういう姿が大切なのかも知れません。
ボランティア精神も、「してやった」では意味がないのでしょう。
【ダーナ】とは、仏教語で【布施】(施し)のことで、法施(真実の仏法を伝え広める)•財施(金品を分かち合う)•無財の七施(思いやり、支えあう心)などに分かれます。
中でも無財の七施は、いつでも、どこでも、誰でも、自分のできる範囲で実践(実行)できるものであり、思いやりのある生き方を示すものです。
【無財の七施】
一、眼施[あたたかいまなざし]
ニ、和顔悦色施[にこやかな表情]
三、言辞施[優しい言葉]
四、身施[精一杯のおこない]
五、心施[慈しみ深い心]
六、床座施[人にあたたかい席を]
七、房舎施[気持ちよく迎える心がけ]
浄土真宗のみ教えは阿弥陀如来を恒に仰ぎながら、世のため人のために生きる努力をしていくことだと思います。
したつもりではなくて、してやったでもなくて、少しでも立場の弱きものに寄り添って接していく言動がダーナの精神ではないかと思います。
皆繋がっています。近所も地域も、もちろん国も世界も。小さなことからコツコツと。
南無阿弥陀仏をお称えする生活も同じだと思います。
そういうことを是非疎かにせず今日も生きていきたいものですね。南無阿弥陀仏
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