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人間の振る舞いに思う

執筆者の写真: 超法寺の住職超法寺の住職

本当にわがままというか、身勝手というか、10人入れば10通りのモノの見方がありますよね。

それでも、おのおのが自分は正しいと思っています。だから世の中は安穏にはならないのですね。死ぬまで煩悩(我欲)から離れられない凡夫だからこその真実などない世界に生きるお互いなのです。


アジア諸国や欧米の方々から日本人は野蛮であるとの批判が出ています。コロナ禍がおさまりつつ今、日本を訪れる方が増えていますからでしょうか。また大円安の影響もあるのでしょう。

それではなぜ日本人が野蛮だというのか。

魚の踊り食いや牛や豚などの家畜を屠殺する際に有無も言わさずに殺しているなどの理由からだそうです。

オーストラリアやニュージーランドでは羊を出荷する際には一度ショックを与えて気絶をさせてから屠殺するそうです。宗教上からだそうですね。確かに牛や豚は屠殺される際に涙を流すのだそうですよ、知っていましたか?

感情があるのです。恐怖があるのです。苦痛があるのです。もちろん昨今ニュースを賑わす熊であってもやはり同じく苦痛を感じているのです。

では魚はどうなのでしょうか。

痛くないのでしょうか。


今、日本を訪れる外国人がリピートするくらい人気なのが、釣り堀で魚を釣れる居酒屋なんだそうです。お客さんが皆、笑顔で魚を釣り上げています。これはいいのでしょうか。活け造りや踊り食いは批判するというのに。

彼らの命は私たちと同じ尊いものだと思います。それなのに昨今の若いお母さんの中には、「お金を払っているのに、どうしていただきますなどと手を合わせなきゃいけないの」などと真顔で言われるらしい。

いのちの重さが違うのでしょうか。

私の家族が死んだら泣かないのかな。

私たちがどうして自分の生き方を【極重悪人】とおもえないのか、この辺りにあるのかもしれませんね。


私は子どもの頃から親から【いのちの尊さ】を教えていただきました。

ご飯(お米)を残したら、学校へ向かう途中にある田んぼに向かって「ごめんなさい」と手を合わせるように教えられ、お百姓さんに会ったら「今日ご飯を全部食べずに粗末にしてしまいました、ごめんなさい」と謝るように教えられました。そのおかげで食に対する感謝の思いを教わりました。


食事の際は、食前の言葉、食後の言葉をいつも当たり前に唱和する習慣を身につけることが出来ました。これは周りに誰がいても普通にやれますから恥ずかしくもありません。

皆さまは「いただきます」「ごちそうさまでした」やられていますか?

いきなり箸を手にしていませんか?

私たちはお金を出そうが出すまいが「いのちを奪っている」のです。

逆に奪われた牛や豚や鳥や魚たちは「1円ももらってはいない」のです。

私たち人間の都合でいのちを奪い、粗末に扱いがちな私たちのどこが善人なのでしょうか。

まさに【極重悪人】そのものではないですか。

その意識さえ持てない私たち人間が、どうして天国や極楽などに行けるというのですか。


そんな恐ろしい生き方しかできない私がいるからこそ目覚めを促してはたらき続けておられる神仏の願いがあるのではないでしょうか。

それにさえ気づかずに、自分は正しい、間違いない、などと間違えたいのちの歩みを見せていくのか。違う違う、そうじゃそうじゃない。


今、世界中で戦争、戦乱があらゆる場所で起きています。私たちの日暮しの延長上の出来事であります。忘れてはなりません。

皆、繋がっているのです。

私もあの人も皆、阿弥陀さまの願いがかけられているのです。

我が名を称えて浄土に生まれて仏になってくれよ、の大慈悲の願いが。


私はおかげさまで南無阿弥陀仏を我が口に称えさせていただくことができました。

その上に、阿弥陀さまの【ご本願】のおいわれを知ることが出来ました。

だからこそ、1人でも多くの方々にそれをお伝えすることこそが私の役目なのでしょうね。


人間とはわがままであります。

そして評価もまた人間がします。

人間の考えそれぞれ、私が正しくは無いという立場で語ろうとされがちです。

そんな偏見を真に受けて苦悩する必要はありません。

南無阿弥陀仏の阿弥陀様がついておられます。

安心してください。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏••••••。 ほら、阿弥陀さまが大丈夫だよと仰っていますからね。あなたを今日も生きていきましょう。

ナンマンダブツ

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