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二度死ぬって何?

更新日:2023年12月7日

皆さま、おはようございます。

今朝は冷えますね。気合い入ります。

朝からさまざまなニュースを見て人間の知恵の浅はかさを痛感しています。相変わらず何も変わらない、「欲」は真実に背を向けています。

難いいのちを賜ったというのに、それを知らずに忘れて生きている姿はまるで餓鬼の如くであります。仏法を聞いてくださいませ。


さて【人間は二度死ぬ】といいます。

最初の死は、生命の終わりを迎えた時。

そして二度目の死は、自分を知る人の心の中から、その思い出が消えてなくなった時と言われます。

親であれば、我が子を二度も死なせたくはないと思うはずでしょう。人間は誰しも、

「いつまでも忘れないでほしい」

という思いを抱いています。

確かに、さまざまな形で我が子と死に別れることがあるのが人間世界【無常】ですから、無いことをどんなに願ってもやはり有ることばかりです。顔を合わせている今が実に大切な時間なのです。お互いに好き勝手な生き方をしていると必ず後悔することになるでしょう。

親よりも長く知り合うことは無いはず。

だからこそ、好き嫌いはさておき大切な時間なのです。


「いのち」の意味を親は子に、子は親に教わります。そうならば、いずれ死に行く「いのち」の往く先も知らねばならないでしょう。

大人として、親として無責任です。

【死ねば仏】

これは正しくはありません。

死んだだけでは人間は仏にはなれません。

人間=仏ではありません。

「仏」という字の意味は、「人間=ではない」という意味です。


「いのち」の意味に目覚めさせるはたらきを【仏さま】と言います。

浄土真宗では、南無阿弥陀仏をいただいて生きた方が参る世界を浄土と言います。浄土へ生まれることを【往相】と言います。浄土へ生まれたら必ず仏【諸仏】となり遺した者を救うためにこの世に帰ってきます【還相】(げんそう)のはたらきです。

つまり、私たちが親や子、懐かしい方々を見送ったからこそ出逢えた仏縁こそ、こうした方々のはたらきによってなのです。

目に見えない、わからないことを知らされるのが不可思議な仏の世界なのです。


見えないことなんか信じないと言われるかもしれませんが、見えないのに有るものはたくさんありますよね。テレビはどうして観れますか?電源を入れても、電波が届かないと観れません。スマホは?やはり目に見えない電波が届かないと使えません。

四季はどうやって知る?やはり目には見えなくても自然が教えてくださいます。

こういうはたらきを通してさまざまことを知るのですね。


悲しい別れをしたもの同士が、死と悲しみを通して再会を果たせる世界を【浄土】と言います。この世は必ず別れねばならない世界です。死んで終わる世界では無いのです。

むしろ始まりでは無いでしょうか。

この世では会うことのなかった我が子(一般的に言う水子)であろうと仏は必ずまた遇わせるぞ、我にまかせよとはたらいていてくださるのです。また遇わせていただくためには、再会を果たした時に、きちんと顔向けができるような人生を歩むことが我が子に先立たれた親に与えられた道では無いでしょうか。

ま、それは我が子だけではなく、親に先立たれたとしても同じことではないかな。


手を合わされる、ナンマンダブツを声にできる私になること、そのような人生を歩むことが仏さまに報いる道であります。

それは、あなた自身が【浄土】に生まれる身に育てられる道が開かれた道であります。

その道を【浄土真宗】と言います。


あなたはナンマンダブツが声になりましたか?


ちなみに誕生日は何回ありますか?

人間は三回あるといいますよ。

少し考えてみてください。

またの機会にお話しさせていただきます。


今日もナンマンダブツを称えながら、強く明るく生きぬきましょう。

南無阿弥陀仏

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