皆さま、こんにちは。
三連休最終日はいかがお過ごしでしょうか。
肌寒いですからお身体にはくれぐれもご自愛くださいませ。
さて、皆さまはご存知ですか?
災害が起きた時間には何故か共通したもなあることを。たまたまかもしれませんが、何故か「46」が多いのです。
今回の石川県能登大震災も午後4時6分に発生しました。先の東日本大震災も午後2時46分、チリ地震(M8.2)20時46分、米国同時多発テロ8時46分、阪神・淡路大震災5時46分なのです。
今回は46分ではなかったものの、4と6が合わされば同じく46になります。
不思議ですよね、何か申し合わせたように同じ4と6、何かを案じているのでしょうか。
たまたまかもしれませんが。
知らず知らずのうちに災害は起きます。
今回の石川県能登大震災では東京ヤクルトの奥川投手が実家に帰省して地震に遭われたそうです。かほく市だそうで場所はわかりませんが、高台に逃げたという記事が出ていました。
ご無事で何よりです。是非、地元を勇気づけるためにも活躍を念じています。
さてこの大震災の起きた中での成人式を迎えられた方々にはおめでとうございますとお祝いを申しますが、生きるということの厳しさ、社会を生きていく厳しさを学んでいただきたいと願っています。
この世はある事ばかりです。
決して思い通りにはなりません。
ならない世の中をいかにして生きていくのか。
人間の力だけに頼っては辛いばかりです。
真実は仏に頼るしかありません。
常に仏さまの願いを仰ぎながら、壁にぶつかる度に仏法聴聞を重ねて歩んでいきたいものです。
これは好き嫌いがあることですが、私は大変感銘を受けている妙好人の足利源左さんのお話をご紹介します。
「親さまをたのめ」
亡き父の遺言で仏法求道の道を歩まれた源左さんです。
※浄土真宗の篤信(とくしん)な念仏者を称えて「妙好人」(みょうこうにん)と呼んでいます。
源左さんは、現在の鳥取県青谷町出まれました。天保13(1842)です。
父親は善助さんと言い、とても敬虔な浄土真宗のご門徒だったそうです。源左さんは文字を読めなかったと言われますが、お念仏と毎朝のお勤めを大切にして暮らしていたそうです。
仕事は農業で、家族総出で従事されていました。ある時、善助さんは病で倒れ(コレラだと言われています)、下痢と嘔吐の苦しみの中、18歳の我が子、源左さんに最後の力を振り絞って、「おらが死んだら親さまをたのめ」と言い残されました。40歳だったそうです。
それを聞いた源左さんは、十余年にわたって、「死とは」、「親さまとは」、「たのむとは」
という疑問を背負いながら苦難の求道をされるのでした。聞いても聞いてもわからない。
父はなぜ仏教の教えを聞けと言われたのか、何を自分に言い残したのかを必死に求め続けられたのでした。
日々、あちこちのお寺へ参ってお聴聞をしても、わざわざ京都まで行って学者(和上)に聞いてもわからない。
途方に暮れていたある日の朝、源左さんは牛(でん)を連れて草刈りに行きました。刈りとった草を牛の背に載せ、一把(いちわ)だけ自分が背負って帰りかけるとお腹が痛くなり、仕方なくその一把を牛に載せると、腹痛が嘘のように楽になりました。
源左さんは父の遺言の意味が「ふいっとわからしてめもらったいな」と領解(りょうげ)できたのでした。
自分が背負わねばならないと力んだところを牛(でん)に任せた途端、身が軽くなった。つまり、自分の生も死も全てをしっかりと支えて「お前の人生は私が引き受けた」と呼びかけてくださる阿弥陀さまのましますことを、源♡さんは全身で気づかせてもらったしきのでした。
「ああ、これだっただなぁと思って、世界が広うなったようで、やれやれと安気(あんき)になりましたわいなぁ。不思議なことでござんすなあ、ナモアミダブツ。でんはおらの善知識(ぜんじしき)=仏道に導いてくれたもの。だいな。」
以後の源左さんは、何事も阿弥陀仏のみ教えを聞いて生きる人生を歩まれました。
父、善助のおかげで真剣に仏教を聞く身になった源左さんは、自分が悪業(あくごう)煩悩を抱えたまま間違いなく阿弥陀仏に救われることを聞き続けていかれました。
ある友人が、「自分のような者でも助かるだろうか」と尋ねられました。
「助かるとも、1人残らず助かる。おらのような悪人でも助かるんだから、全く心配はいらんだいのう。誰が悪いの、彼が悪いのちゅうても、この源左ほど悪いヤツはいないでのう。この悪い源左を一番に助けるとおっしゃるで、他の者が助からんはずはないじゃないか。ありがたいのう」と答えられたそうです。
有り難い源左さんにあるお寺さんが「源左さんや、あんたを本に載せるがの」と言えば、「まんだまんだのしてくださんすなよ。これから監獄の厄介になるかもしれんけえなあ」と言われました。
「なぜだからや、87にもなって•••」と、ご住職が聞き返すと、「煩悩具足の凡夫(ぼんぶ)ですけえなあ、十悪五逆(じゅうあくごぎゃく)の罪をもったおらでござんすけえなあ」と答えたそうです。
源左さんは、自分自身が死ぬまでどんなことをしでかすかわからない存在であることを、仏教によって知らされたのでした。
私たちはお互いに自分は前任であり、賢く、間違いない生き方をしていると正しさを誇っていますが、それなのにどうして争いが絶えないのでしょうか。
源左さんは、阿弥陀仏の光に照らされたおかげで、世界中で一番の悪人は自分であると言わずにはおれなかったのです。
私たちも源左さんのように、常に真実を求め、真実の道を生き、お念仏を喜ぶ身にさせていただくことが何よりも大事ではないでしょうか。
み仏の誓いを信じ、尊いみ名を称えつつ、強く明るく生き抜きます。
ナンマンダブツ、ナンマンダブツ。
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