弟子入り先の師匠、良源は、当時、名声世に聞こえ、やがて40代で比叡山の最高の地位である座主となり、後には天台宗の中興と言われる傑出した僧侶でした。
仏教を学び始めた千菊丸は、みるみる頭角を現し、驚いた師匠は心を込めて指導されました。
千菊丸が13歳になった時、良源は将来を期待して自ら戒律を授け、自分の名前から「源」の一字を取り、【源信】という法名を与えます。
そして源信はみるみる学問を身につけ比叡山に並ぶ者のない学者として、評判が周囲に広まり、やがて村上天皇の耳に入り、源信15歳の時に『阿弥陀経』の異訳である『称讃浄土教』を講義するように勅命が下されたのでした。
感激した若き源信は、天皇や群臣の居並ぶ中、見事に講義を成し遂げたのです。
その分かりやすい、さわやかな弁舌に感嘆しない者はなく、喜ばれた天皇は源信を法華八講という法会の講師に選任し、きらびやかな衣や宝物、そして【僧都】(そうず)の位を与えたのでした。
自分の努力が報われ、有頂天になった源信は、「今こそ自分がどんなに立派な僧侶になったか母に知ってもらいたい、そして故郷に錦を飾りたい」と、手紙を書き褒美の衣や宝物を母親に送ります。
ところが母からの返信は、意外なものでした。
「お前が旅立ってから、明けても暮れてもお前のことを忘れたことはありません。きっと立派な僧侶になってくれるだろうと喜んでいたのに、世間の交わりによって、地位が高くなって衣の色が変わり、天皇からもらった布施を喜ぶ、名利の僧となり果てるとは、何と情けないことでしょう。
ただ命のある限り質素な生活でもただ生死の解決を求めてもらいたいと出家させたのに、世俗の地位の高い人々と交遊し、僧都に出世し名声を得るために説法をし、利益の為に布施をとるのは、生死の解決には何一つ役立ちません。
きっとまた輪廻の身となり、永遠に苦しむことになるでしょう。
せっかく聞き難い仏法を聞いたなら、何としても生死の解決をすべき所、悲しくも一時の名利に我を忘れるとは、これほど愚かなことはありません。何と勿体無い、残念なことかと悔しくてなりません。
こんなことを立派なことだと思うとは、まさしく迷いです。夢の世に同じ迷いの人々にほめられてどうなるというのでしょう。
仏の教えに救われて、仏にほめられる身になりなさい。
「後の世を 渡す橋とぞ 思いしに 世渡る僧と なるぞかなしき」
こんなものには何の価値もありません。
源信に返します。
この手紙を読んだ源信さまは、ポロポロと涙を流し深く自分の間違いを悔いました。
そして天皇からもらった衣や宝物は焼き払い、僧都の位も返上しました。
二度とこんな間違いを犯さぬぞと心に刻み、以後、生死の解決一つに打ち込むのでした。
※母親の我が子に託した想いが素晴らしいと思いました。
母親は有難いですね、どのような気持ちだったのでしょうね。まだ若い我が子が天皇から認められたことは嬉しくないはずはないでしょう。
しかしながら、母としての我が子への切なる願いは、【生死いずべき道】であった。
だからこそあえて厳しい言葉で我が子の目を覚させたのではなかったのでしょうか。
私はこの手紙を読んでそう感じました。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
Comentarios