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「鬼」にならぬよう生きるには

皆さま、おはようございます。

「節分」を日本人は約55%の方が「恵方巻き」を食べたというデータがありました。

改めて日本人のイベント好きとまやかしに影響されやすいことが露呈したようですね。

確かに日本人は無宗教、無信仰が圧倒的に多いです。信仰も一人平均3つ持っているという。

本来の信仰とはかけ離れていますね。


浄土真宗のみ教えは、阿弥陀如来のご本願におまかせして、南無阿弥陀仏ひとつに生きていくものです。

ですから、もちろんまやかしや俗説に惑わされることなどございません。


仏教は「法鏡」(ほうきょう)と言われます。

仏教の教えを聞くと、私のありのままの姿を知らされるからですね。

仏教を聞くことのない人は、自分の心の中には何か美しいものがあると思っています。

しかし仏教の教えを聞くと、私の中にあるのは私が気づかなかった、知らなかった「欲」「怒り」「愚痴」「妬み」ばかりであったと知らされます。


私たちの心の奥底にはあるものは何だろうか。

このようなうたを詠まれた方があります。


【みな人の 心の底の奥の院

 探してみれば 本尊は鬼】


奥の院とは、普段見せないもの。


オニとは、「遠仁」とも書きます。

「仁に遠い」

「仁」とは、人のことで、人としてあるべき慈悲の心です。ところが、その慈悲の心から遠い、無慈悲なものが「遠仁」なのです。


自分さえ良ければ他人がどうなっても構わない、我利我利亡者です。


仏教を聞いていくと知らされてくるのは、自分の心の中に住んでいる鬼なのですね。


ところが仏教にはその「鬼が仏になる方法」が教えられています。

元々、関西にあった限定的な風習「恵方巻き」なんか企業の思惑に振り回されるなんてナンセンスだよ。

それよりも真実なる道を知り、その道を歩んでいく安心感の方がどれだけ素晴らしいかを知りたいですね。


鬼は誰のことでもなく、日々「自分可愛さ」からくる「欲望の暴走」で罪を作りながらでしか生きていけない私たち人間であります。

その人間を阿弥陀如来さまがひとりはたらきによりナンマンダブツとはたらいていてくれているのに、それを豆をぶつけて追い出す!

そんな愚かなことを楽しむよりも、南無阿弥陀仏とお念仏を称えながら「今」を生きていきたいですね。


南無阿弥陀仏。

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