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執筆者の写真超法寺の住職

やわらかい心を持ちましょう

皆さま、こんばんは。

ニュースで久しぶりに長嶋茂雄さんのお姿、声を聞きました。87歳になられたのですね。

「勝つ!勝つ!勝つ!」と言われた言葉が力強かったです。来年はきっとタイガースを蹴散らして新生ジャイアンツが見られることでしょう。是非、来年こそ長嶋茂雄さんが喜ぶ姿を見せていただきたいですね。

ちなみに私はアンチです。


さて、私たちの眼は外を向いていますから、自分の姿を見ることができません。鏡を見ればいいなどというのでしょうが、残念ながら鏡には反対しか映らないので本当の私の姿を私が見ることができません。ありのままの姿は見れないのです。


某お寺の掲示伝道で見ました。

[腹が立ったら鏡を出して顔を見ろ。鬼の姿が無料(ただ)で見られる]


普段は人前でニコニコしている穏やかな人でも、腹を立てたり、怒りに満ちた感情の際は、人は鬼の形相になります。

感情が顔に表れるのが私たち人間であります。

どんなに普段が優しい姿を見せていても、怒りの感情の前には素の姿があらわれてしまうのです。

ですから私はなるべく激しい感情を出さないように心がけています。文句を言ったり、怒鳴ったりは実に恥ずかしいモノです。やりたくてやった過ちではなければ責めてみても何も解決にはなりません。かえって相手に露骨に嫌な感情を持たせてしまい、時には暴力沙汰などトラブルになってしまいます。


ま、皆さまは手鏡など持ち歩いてはおられないでしょうから難しいでしょうが、車ならバックミラーに怒りの姿を写してみて欲しい。

きっとエビスさんじゃなくて阿弥陀さんじゃなくてオニの恐ろしい姿が写っているはず。


自分の中にいる鬼の姿が見えた人は、心の鏡を持てた人です。


セトモノとセトモノと、ぶつかりっこすると

すぐこわれちゃう。

どっちかやわらかければ、だいじょぶ。

やわらかいこころをもちましょう。

そういうわたしは、いつもセトモノ。

[相田みつを「セトモノ」]


伯父さんがこんな話をしてくれました。

伯父は88歳になります。

ある時、車を運転していたら若者が乗った車が割り込んできたそうです。

すると、若者は伯父に向かって「このくそオヤジ!」って怒鳴ったという。

すると伯父は笑顔で「お~、有難うな」と返したという。

さて皆さまはこのやりとりをどう思われたでしょうか。


私はこういう人になりたいって思いました。

以後、トラブルに遭う度にこのやりとりを思い出します。


わかりましたか?

伯父は「あの若者は、88の俺にくそジジイじゃなくて、くそオヤジって言ったんだ。まだ俺はオヤジに見えたんだな。」って笑う。

つまりこれこそが、相田みつをさんの世界じゃないんでしょうかね。


【やわらかい心を持ちましょう】


「そういうわたしはいつもセトモノ」

【他人に迷惑をかけないように】

【相手を傷つけないように】


よく親御さんが、我が子に「人に迷惑をかけてはいけませんよ」と諭すと聞きます。

しかしどうでしょうか。

私たちは他人に迷惑をかけずに生きていけるのでしょうか。知らず知らずのうちに迷惑をかけてはいなかったか。

許されていたんだと思えればどれだけしあわせな気持ちになり、自らの行動に恥ずかしいと思えるのではないでしょうか。


中国の親御さんは、「人に迷惑をかけずになんか生きられないのだから、他人のことも許してあげる人になりなさい」と諭すそうです。

私たち日本人とはだいぶ目線が違いますね。

信仰心の中からだからこそ、こういう世界が見えてくるのではないでしょうか。

わたしはそう感じました。


ナンマンダブツ

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