髙源寺布教
- 超法寺の住職
- 5月23日
- 読了時間: 2分
皆さま、こんばんは。
今日は午前中に新規のご縁にお参りさせていただきました。超法寺へご依頼くださり有難うございました。「正信偈」をご一緒にお勤めいたしました。引き続きご縁が繋がることを念じながら、午後は町田市の髙源寺さまの常例布教へ出向させていただきました。
髙源寺さまは毎年お声がけくださりお参りくださる方々も顔見知りにならせていただいていますので、のびのびとお取次ぎいたしました。
この度は、『聞思莫遅慮』(もんししてちりょすることなかれ)についてお取次ぎいたしました。
もちろん超法寺の門信徒はこの言葉が宗祖親鸞聖人の『教行信証』の冒頭にあります「総序」だということはお聞きしておられるでしょうし、「超法寺」寺号の所以であることもお分かりだと思います。
【超世希有の正法】の頭とお終いの字を取り「超法寺」といたしました。
南無阿弥陀仏に全ておまかせして、阿弥陀さまが仰られる通りにこの人生を歩んでいくのです。どんな苦悩にあったとしても、阿弥陀さまのおはたらきであり、常に私とご一緒くださっているのだと思いながら南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏とお念仏を「灯」として生きて生きながら、阿弥陀さまのお誓いであります、「我が名を申すものを必ず漏らさず救う」のお心をいただいていきます。
私の苦悩を我が苦悩とし、私の喜びも我が喜びと歩んでくださいます。
阿弥陀さまの願いに照らされている姿が南無阿弥陀仏の声となりはたらいていてくださいます。声です。南無阿弥陀仏と聞いて、「お前のことは救ってあるから安心しなさいよ」とお聞かせいたたきたいですね。
そのお心を皆さまにお伝えしました。
南無阿弥陀仏を称えたから救われるのではありません。『歎異抄』には、「念仏申さんと思う心の起こらんときに」とありますように、阿弥陀さまの他力のお慈悲が私に届きますと、そういう思いになるようです。
阿弥陀まかせの我が人生ですね。
やはりお聞かせいただきませんとわかりません。南無阿弥陀仏が我が身に染み込むまで聞かせていただきましょう。
それが苦悩の思い通りにならない毎日を強く明るく生きていく方策ではないかとお味わいさせていただいています。
この度も良い仏縁をいただきました。
有難うございます。
明日は超法寺の宗祖降誕会がございます。
是非お参りくださいませ。
ただお寺の近くに天皇皇后両陛下が茶葉研究所を視察されますので、なるべく電車を利用ください。入間市内はあちこちで規制があります。
南無阿弥陀仏(-∧-)合掌・・・
Kommentare