皆さま、こんばんは。
今日はとても穏やかなお天気でしたね。
いよいよ春らしくなりました。
来週は春のお彼岸ですからね。
私は毎日、違う箇所が痛みながらも何とか頑張れています。有り難いですね。
まだやるべきことがあるのです。
来週20日は、川崎市宮前区の浄照寺さまの彼岸会へ布教出向いたします。なかなかない貴重なチャンスを恵まれて今から楽しみです。
少しでも体調を良くして臨みたいですね。
この度は、【少欲知足】のお話をご紹介します。
[人間姿をした餓鬼]
多財餓鬼(たざいがき)というものがいます。
餓鬼って知っていますか?お盆の話で出て
きますよね。
痩せ細って見るからにあわれな存在です。
手足は針金のように細いのに、お腹だけ
は風船のように膨らんでいます。
あれは、ガスがたまっているのですね。
餓鬼のいる世界は地獄のちょっと上です。
この餓鬼にも三種類あるそうです。
「餓鬼に三種あり」と経典にあります。
【無財餓鬼】【少財餓鬼】【多財餓鬼】
「無財餓鬼」は、全く財産を持たない餓鬼。したがって真っ裸で生きています。何も食べられません。仮に食べようとしても火に変わってしまい食べることはできません。
何一つ口にできないのです。
「少財餓鬼」は、ボロきれ一枚程度の、わずかな財産をもっています。腐った水を飲んだり、残飯を食べたりできます。
この餓鬼たちは餓鬼界に住み、寿命は一万五千年だそうです。死んだものが行く世界ですが苦痛だけはあるのだそうです。
「多財餓鬼」はリッチなセレブな餓鬼です。いっぱい財産を持っています。御殿のような住居に住み、高級車を乗り回しています。
そして多財餓鬼は食べられるのだそうです。
好きなものをお腹いっぱいに。ドンペリを空けて高級ワインを浴びるほど飲みます。
この多財餓鬼は我々人間世界に住んでいます。
人間と同じ姿をして、贅沢三昧の生活をしています。えっ?それでどうして餓鬼なの?と思われますよね。
経典が語る世界は例えを用いて私たち人間の生き様を知らしめています。
【自分が持っているものに満足せず不足ばかりを言って生きている存在】
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つまり、人間こそ餓鬼だということなのです。
世界には一日たった100円の生活を余儀なくされている人がたくさんいるというのに、生活保護をしていただいてもギャンブルに興じるような人もあり、また傍から見れば十分に豊かな生活がありながら常に不足を言いながら文句ばかり言っている日本人は、まさに多財餓鬼ではないつどしょうか。
妬み、腹立ち、嫉み。
他者と比較して、不足ばかり不満ばかり。
人は人です。
私は私にちょうど良いのに、それを知らずに相手を責めて生きていませんか?
そういう愚かな生き方をする私たち人間に警鐘を鳴らしているのが「経典」ではないかと思うのです。
だから、まさに多財餓鬼とは、「エコノミックアニマル」というのではないかと私は考えています。
皆さまも口にはおかげさまと言いながら、不足、不満ばかり言って生きてはいませんか?
おかげさまとは、【有り難い】のです。
お仏壇にお仏飯を供えるのはなぜか?
私にちょうど良い食生活をさせていただいている感謝を供えているのです。
決してご先祖や仏さまがお食べになるのではありませんよ。仏さまは煩悩具足の身から脱却されていますからお腹など空きませんから。
そういうおいわれを日々の生活の中でお聞かせいただく機会こそがお仏事であります。
近年は四十九日以降の(四十九日すらやるない)法事はやらない方が激増しています。悲しいことですね。聞いてもわからない私が聞く機会を逃してどうやって安穏な日暮しを過ごせるのでしょうか。人間は毎日約80パーセントのことを忘れて生きているというのに。
だからわからない老後を迎えていく人が多いという現実となっているのかもしれませんよ。
大切な親、ご先祖さまがおられるからこそ、私は安穏な日暮しを過ごす機会に恵まれるのです。亡き人から「聞いておいてくれよ。仏にまかせて南無阿弥陀仏を称える生活を過ごしてくれよ。」と、お願いされているのですよ。
今こそ、仏法を聞くチャンスを逃さずにお仏事を大切にしてみませんか?
人生がひっくり返りますよ!
今日のご葬儀にはたくさんのチビちゃんがお参りくださいました。ありがたかったです。
最近は「子供たちはうるさいから預けてきました」と葬送の儀の場から子供たちを遠ざけてしまう親御さんが増えてきたように思います。
これも核家族化の弊害ではないでしょうか。
子どもなんだから騒いだっていいんですよ。
その場で声なき姿の故人に遇うことが大事なのです。悲しみにくれる親、おじさん、おばさんの姿を見せてあげるのです。
人が死ぬということは、どれほど悲しいことであるかを見せるのです。そうすればきっと、人を傷つけたり、人のいのちを奪うような凶悪犯罪も少しは減るのではないかと私は思います。
未来ある素晴らしい子供たちを育てるのは親の、そして大人の務めではないでしょうか。
子供たちは見ていますよ、私たち大人の言動を、することなすことを。
忘れないですくださいね。
私も法事の度に南無阿弥陀仏を称えて、笑顔で仏法を聴聞していた大人たちの姿を未だに忘れませんから。
南無阿弥陀仏(-∧-)合掌・・・
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