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風に吹かれて

皆さま、こんにちは。

今日は寒かったですね。

先程、行田市のお参りを済ませ、無事に貴院しました。今日は助法してくださった方がおられたので大変助かりました。

基本的に布教所は住職(専従員)一人で切り盛りしています。これがお寺になりましたら自前でお手伝いさんを抱えることが許されます。

なので今は制約があるため予定が重なりますとなかなか大騒ぎします。


何人か助法(お手伝い)を頼める方を確保しようとしていますが、その方も専属では無いため、他の寺院がお仕事を頼むとウチは断られてしまいます。特に土日に葬儀が入りますと大騒ぎになってしまいます。

超法寺もおかげさまで、たまには土日に葬儀が入ることもありますので、ご法事をご依頼くださる方にはなるべく午後に予定してくださると助かります。

わがままなお願いとは思いますが、一つでも多くのご要望にお応えするには皆さまのご協力が必須です。


午後にお参りした行田市は、群馬県が近いためか風が台風並みに吹き荒れていました。

霊園での墓前経でしたが、読経中風に吹かれて巨体の住職がふらつくほどでした。

それではなぜ群馬県は風が強うかというと、利根川や吾妻川などの川が谷に向かって集まっているからだそうです。【赤城おろし】というそうです。六甲おろしは聞いたことがあります。


とりわけ国道17号線、三国峠、国道18号線などは日本海からの季節風が標高の低い部分を風が駆け巡るからなんだそうです。

別名【まぁおろし】ともいうそうです。

入間市も寒いですが風が吹き荒れることはないので、今日のような風は辛いですね。


それでもおかげさまで何事もありませんでした。帰り道、「そういえば初めは本庄市を調査したなぁ。」って懐かしく思いました。

短絡的に、上越新幹線の駅で浄土真宗寺院がないのは本庄早稲田だけだから、ということでした。でも【縁】はなく入間市でありました。


『歎異抄』第13条(現代語訳)をご紹介します。

阿弥陀仏の本願のはたらきが不可思議であるからといって、自分の犯す悪を恐れないのは、すなわち「本願ぼこり」であって、これもまた浄土に往生ができないということについて。


このことは、本願を疑うことであり、また、この世における善も悪もすべて過去の世における行いによると心得ていないことなのです。

善い心が起こるのも、過去の世の善い行いがそうさせるからです。


悪いことを考え、それをしてしまうのも、過去の世の悪い行いがはたらきかけるからです。

今は亡き親鸞聖人は、「うさぎや羊の毛の先についた塵ほどの小さな罪であっても、過去の世における行いによらないものはないと知るべきである」と仰せになりました。


またあるとき聖人が「唯円房は私の言うことを信じるか」と仰せになりました。

そこで、「はい、信じます」と申し上げると、「それでは、わたしがいうことに背かないか

」と、重ねて仰せになったので、つつしんでお受けすることを申しあげました。

すると聖人は、「まず、人を千人殺してくれないか。そうすれば往生はたしかなものになるだろう」と仰せになったのです。


そのとき、聖人の仰せではありますが、わたしのようなものには一人として殺すことなできるとは思えません。」と申しあげたところ、「それでは、どうしてこの親鸞のいうことに背かないなどといったのか」と仰せになりました。


続けて、「これでわかるだろう。どんなことでも思い通りになるのなら、浄土に往生するために千人の人を殺せとわたしがいったときには、すぐに殺すことができるはずだ。けれども、思い通りに殺すことのできる縁がないから、一人も殺さないだけなのです。」

自分の心が善いから殺さないわけではない。

また、殺すつもりがなくても、百人あるいは千人の人を殺すこともあるだろうと仰せになりました。

(中略)


これらは誤った考えにとらわれているのをやめさせるためなのです。


す、すみません、睡魔が襲ってきました。

続きはまた改めて。

ナンマンダブツ

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