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頭が下がること

執筆者の写真: 超法寺の住職超法寺の住職

皆さま、おはようございます。

今朝はどんより空です。暑さは変わらず。

七夕はいかがでしたか。見えましたか?

願いが叶えば良いですね。

「叶う」という字の意味は、マイナス(ネガティヴ)なことを言わないでプラス(ポジティブ)な思考言動で生きると自ずと「叶う」のだそうですよ。


人生願いばかりで言動はネガティヴな人は結局、自分で自分を不幸せにしてしまうのです。

他を妬んだり、僻んだりすることなんか意味などありません。そもそも人間は血肉を分けたきょうだいであっても不平等だから。


人間は生まれてきた時から不平等。


多くの動物の中で人間が一番不完全ではないだろうか。

私は普段からマメシバと暮らしているけどいつもそう感じるよ。


草食動物は出産後、早いものは一時間、遅くても四時間もあれば立ち上がり、二週間もあれば

走り回っています。

さらに三ヶ月も過ぎると、自分でエサを取り生きていくものもあります。

これは弱肉強食の世界だからのんきにしていては自分のいのちが危なくなるという野生のDNAなのでしょう。


ウチの子たちもなかなかどうして早く自分で動き始めたなぁ。お母さんは必死に我が子に乳を与え、排泄物はお母さんが舐めて処理する。母性は半端ないよ。見ているだけで感動する。


では私たち人間はどうでしょうか。


「この子は立ち上がるのが早いね」と言っても、十ヶ月くらいは歩けないし、自分の力だけで生きて行こうとすると、やはり十四歳ぐらいまでは誰かの助けなしでは生きてはいけない。〈例外はあるでしょうが)

生まれ落ちた時は自分では寝返りすらできないのです。


動物は親を忘れて一人前になるといいます。


では私たち人間もそうでしょうか?

人間は親への依存度が半端ないのではないかな。

(これもそれぞれではありましょうが)


私はマザコンだから母への感情は半端ないよ。

母を喜ばせるためだけに生きてみたりする。

でも若い頃は、逆に母を困らせたり心配かけてばかりでした。お恥ずかしいですが。

それでも母はいつも優しいんですよ。


今はもう離れて暮らしてるけど、いつも母を思って生きています。マザコンなんですね。

もちろん父に対してもそうですが、やはり母とは雲泥の差じゃないかな。

それほど人間は母子のつながりは深いものです。


盂蘭盆での故事、目連尊者とその母のエピソードもまさにそれを表していますよね。


お母さんのため•••••。

お母さんへのご恩と恩返し。

子どもとして生み育ててもらえた喜びはできるようでなかなか難しいのかも知れませんね。


それを思うと、仏さまは親のように我が子、この私をいつも見守りながら、何とか真実に目覚めようとご苦労くださるのです。

だから仏さまのことを「親さま」と言ったりします。


私はしあわせです。

昨今は親が子を産み、トイレに流したり、遺棄したりする悲しいニュースを見ます。人間には母性がなくなってしまったかと思うくらいに。

だって全ての女性が子を産めるわけじゃないのに。それをしあわせに感じられないのだから。

おばあちゃんが子や孫を放置して死なせたりする悍ましいニュースを見ます。

今や日本での凶悪犯罪の約6割以上が身内間で起こっているのです。

当たり前が何かをおこさせているのかな。


どういうことでしょうか。


親も子も孫もそれぞれ自分の都合を優先して生きている証拠では無いでしょうか。


皆繋がっているのに、それに気づかないで生きているんじゃないかな。

こんな生き方、動物はしないよ。

やはり人間は不完全なんでしょうか。


だからこそ真実なるものを知る必要があるのでしょう。真実なるものを知り因果の道理を知らなければ人間は明らかに生きていくことはできない。


皆さま、しあわせって外に求めてもありませんよ。しあわせは内にこそあるのですから。


南無阿弥陀仏を称え、阿弥陀さまを仰いで生きていくことこそ不完全な人間が確かな人生を歩んでいけるものではないかと感じます。


今年のお盆は、親子って何だろう。

そんなことを考え訪ねていきたいと思います。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏




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