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頭が下がります

皆さま、おはようございます。

また寝落ちしていました。

外は雨が降っていますね。雨音がします。


昨日の写経会は超法寺の主力メンバーが集い『自分で書く正信偈』をそれぞれのペースで書いていました。仕上がりが楽しみですね。

自分で経本を作るって素晴らしいことです。

また書くことで『正信偈』も自然と覚えます。

浄土真宗で一番勤められていますから馴染みの深いものでもあります。


また門徒夫妻がお昼頃に来られてお庭(草ボーボーでした)と、お寺の前(草ボーボー)を綺麗に根こそぎ刈ってくださいました。本当に徹底的にしていただきました。ズボラな住職でごめんなさい。ニコニコしながら「ご住職は腰も痛いのですから休んでいてください」

いやいや、そういう訳にはいきません。

どんだけ偉そうなんよ。

私はガレージの荷物を仕分けしていました。

だいぶスッキリとしてきました。

確かに腰は痛いけど、少しでも動いていた方がいい気がしました。皆さまと一緒にするとやりがいもあるものですよね。

頭が下がりますよ。お寺って凄いです。


私は昔、実家寺に毎朝来てお掃除をしてくださったKさんを思い出していました。

原付バイクに乗って毎日お寺のお掃除をしてくださいました。確か富良野のご出身でした。

もう往生されて15年は経ったでしょうが未だに忘れませんね。お寺はこういう人たちに支えられているのです。葬儀やご法事を勤めてくださる方ももちろん大切ですが、メンテナンスを黙々としてくださる方がおられてこそお寺は守られていくのですね。

まだ超法寺には婦人会や壮年会はありませんが、少しずつそういう方が現れて形作られていくのでしょうね。住職はしっかりとこのお寺を維持運営していくのであります。


今年、この場所に移転してから皆さまがそれぞれが自主的にこのお寺を自分たちのお寺としての認識をお持ちくださっているように感じます。そう超法寺は、超法寺を大切に思ってくださる方のものであります。今まで入間市にはなかった浄土真宗本願寺派[西本願寺]のお寺が今着々と育っています。


『十七条憲法』には、

二にいはく、篤く三宝を敬ふ。三宝とは仏•法•僧なり。すなはち四つの生れの終りの帰(よりどころ)、万(よろず)の国の極めの宗なり。いつの世、いづれの人か、この法(みのり)を貴(とうと)ばざらん。人はなはだ悪しきもの鮮(すくな)し、よく教ふるときはこれに従ふ。それ三宝に帰り(より)まつらずは、なにをもつてか枉(まが)れるを直さん。


とあります。

「心から三宝を敬いなさい」と言われています。「三宝」とは仏さまの教え、仏さまの教えを聞いて生きていく人たちの集まりをいいます。生きとし生けるものが最後に行き着くところは、どこの国でも究極の宗教です。

どの時代でも、どんな人でも、仏教を尊ばないものはありません。人間には悪人は多くありません。正しく教えれば、その教えに従うものです。仏教に、[帰依]しないで、どうして曲がった心を正すことができるでしょうか。

という意味なのです。

世間にも私にも、どうせ真実なんかないのなら、適当に要領よく生きればいい、そんな態度では投げやりの人生になってしまいます。

真実のない世の中を[本当に生きていく]には、仏教の教えを信じて生きていくのですね。⚪︎真実なる仏さま[阿弥陀]を仰ぎ、仏さまの教え[法]をよりどころにして、仏さまの教えを信じて生きる人々の集い[僧伽]をよりどころとして生きていく上にそれは実現するものだと思います。その理念を政治の上に実現されたのが聖徳太子でありました。


『歎異抄』に、

煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもつてそらごとたはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします

[意味]

私どもは、あらゆる煩悩を抱え備えた凡夫[死ぬまで煩悩から離れられない]であり、この世は燃えさかる家のようにたちまちに移り変わる世界であって、すべてはむなしく偽りで真実とはいえるものは何一つありません。その中にあって、ただ念仏だけが真実なのです。


今や無宗教な政治家が蔓延り、批判や悪口ばかりで相手を責め立て、自分は失言も間違った言動も誤魔化し正当化してしまうような仏教とは名ばかりの代議士がいても世の中は糾弾はおろか賛同すらされている誤った政治が行われようとしている気がします。人間のエゴのままには真実とはかけ離れた煩悩渦巻く恐ろしい未来を有権者たる私たち大人は愛する我が子や孫たちに残していくのでしょうか。世界の先進国の中で日本の投票率がダントツで最下位だと知っていますか。そんな法治国家がまともに政治が行われるとは私は思いません。聖徳太子が目指した政治は一体どこへ行ってしまったのでしょうか。来月には新しい紙幣が発行されます。

もしかしたら聖徳太子の紙幣が無くなってしまったのもそういう政治になってしまったからと嘆いているのは私だけでしょうか。

私は今まで投票権行使は一度も怠ったことはありません。大切な私の意思を反映させる行為だから。それなのに日本という国は行使しない有権者が誰よりも政治批判をする不思議な国であります。だから代議士は好き放題にするようになまたのではないでしょうか。

今一度、私たちの未来を託すことの意味をお互いに考えてみませんか。


「誰も選びたい人なんかいない」

よく聞く言い訳でありますね。

候補者の名前を書かなくてはならないのが投票ではありません。いなければいないで、好きな人の[託したい人]の名前を書いてくればいいだけですよ。それでも投票率としては反映されますから。自分の意思を行使したことにはなるのです。イケナイ行為は投票しないということなのですから。


夜分に過激な言動になってしまいました。

ごめんなさい、このへんでやめます。

是非、綺麗になった超法寺へお参りくださいませ。お休みなさい。南無阿弥陀仏

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