top of page
執筆者の写真超法寺の住職

難しいことをやりたがる

皆さま、こんにちは。

良い天気に恵まれました。風もなくとても過ごしやすいため掃除ついでに粗大ゴミを出してみました。大きな重量のあるものなので今の身体の状態ではありますが頑張ってみました。


うまいことバランスを考えると重量があるものでも運べるんだな、ということを学びました。

なかなか長年積み上げてきたものを処分できずにいましたが、後先短いでしょうからなるべく早めに処分することを今後もしていこうと思います。くたびれましたが気分はスッキリ。


さて少し落ち着いたので、親鸞聖人の「往生浄土」について学びたいと思います。

「浄土真宗のみ教え」親鸞聖人の言葉には、

【それ真実の教を顕さば、すなわち『大無量寿経』これなり】

と、仰っています。

きちんと結論をいただけば、【本願を説く】、【仏の名号】におさまってしまう。

ただこれだけだと聞いてしまうと、「な〜んだ、そんな簡単なこと」と、簡単だと真実の教えであっても真実から背を向けてしまうのが悲しいかな私たち人間なのです。


それが故に、【南無阿弥陀仏ひとつ】と言われてもそれをそのままに受け止めていくことが難しいのです。わからなくても何か哲学的な書物を読みますど、何か安心できたりするのだから人間って不思議であります。


でも阿弥陀さまを我が親のようにと例えるならば、私は親から見たら子どもです、赤ちゃんのようなもので何も知らないし、自分で消化することもできないです。

ここに美味しい近江牛のリブロースステーキがあったとしましょう。赤ちゃんに「これは美味しいし、なかなか食べることのできない超高級品だから食べてごらん」と言ったら食べるでしょうか。いや、無理ですよね。

だって自分で食べる歯もないし、食べ方も知らないし、飲み込んだとしても消化することすらできないよね。

じゃあ、どうしますか。

それは我が親が先に私が今すぐでもその素晴らしいステーキをいただけて、すぐに素晴らしい栄養とすることができるように、親が噛んで柔らかくして、またお母さんがそれを身にして赤ちゃんがいただきやすい「お乳」にして与えてくれるのですよね。


この場合の「お乳」が「南無阿弥陀仏」なのです。

一番、難しいことにチャレンジして納得したいと思っている私に、阿弥陀さまという仏さまは先手のおはたらきを自らが仕上げて、何もわからない私がすぐに受け入れて安心できるようにと、南無阿弥陀仏の声となって届けていてくださるのです。だから安心なのです。


なぜ親鸞聖人が法然聖人が【南無阿弥陀仏】ひとつに生きていかれたかは、このように自分一人がわかればいいではなくて、皆一緒によろこび、皆一緒に安心していく世界を大事にするのが浄土教である、とお示しくだされたのです。ただ一人の世界なら浄土真宗ではないのです。

ですから、御同朋、御同行と言うのです。


阿弥陀さまは南無阿弥陀仏をあらゆるいのちに届けでいてくださいます。

だから、南無阿弥陀仏をお聞かせいただけたと言うことは、煩悩を抱えたままで往生浄土の道を歩ませていただくのですね。


もう私たちの人智を超越した阿弥陀さまの他力の法が私にきちんと届けられてあるのです。

親鸞聖人は、ご和讃に

南無阿弥陀仏称えれば

十方無量の諸仏は

百重、千重、囲繞して

よろこび護りたもうなり


と、お喜びくださいます。

これが他力の信心の世界であります。

頼んだから救われるんじゃありません。

信じたから救われるのでもありません。

どうあっても救われるような生き方ができない

私がいるからこそ、阿弥陀が全部引き受けて、まかせてくれよ、必ず救うから、と喚び通しに喚んでいてくださり、その喚び声を素直に聞くことができればもう何も心配いらないのです。


【倶会一処】(くえいっしょ)

別れのない、再び浄土でまた遇える世界が阿弥陀さまの大慈悲心であります。


聞こえたまま、わからないまま、そのまま、阿弥陀さまにおまかせしていく私になること。

これは日頃からのお仏事を大切にして、仏法に耳を傾けていく私にならせていただくことを是非大切にしたいですね。


浄土真宗は「聞く宗教」と言います。

「籠耳」

聞いて忘れて 忘れて聞いて

わたしゃ籠耳

お慈悲の水に今日も一日ざぶりと浸かり、

ご恩よろこぶしあわせものよ


これは籠とは、今で言うザルですね。

ザルを水でいっぱいに満たすにはどうすればいいでしょうか。ザルに水をザーザーかけても皆抜けてしまいますよね。

水をザルにかけるんじゃなくて、ザルを水を張ったものにつけておくのですね。

そうすればザルはずっと水と一緒であります。


籠(ザル)は、私の耳ですね。

聞いても聞いても聞いた側から忘れていくのが私です。

しかしながら、南無阿弥陀仏という水に浸かっているなら、忘れる心配などありません。

ですから「浄土真宗の生活信条」にも、【み仏の誓いを信じ、尊いみ名を称えつつ、強く明るくいきぬきます】とあるのは、南無阿弥陀仏を常に称えながら生きていくことをおすすめいただくのですね。

それが籠耳のような私がさせていただくことではないかと私は思っています。


さて今日は、日本はバブル経済となっていますね。新NISAの影響でしょうか。米国も過去最高を記録しています。どこまで日経平均株価は上がっていくのでしょうね。

私は久しぶりに買いたかったのですが、落ち着くまで買うのを控えたいです。

タイミングが難しいですよ。


そんなことを思いながらブログを書いています。南無阿弥陀仏

閲覧数:18回

最新記事

すべて表示

Comments


bottom of page