「難きもの」に
- 超法寺の住職
- 5月15日
- 読了時間: 3分
皆さま、こんばんは。
しばらく忙しくしていたからでしょうがあまり体調が良くありませんが、初老に鞭打って頑張っております。皆さまはいかがでしょうか。ゴールデンウィーク疲れは解消しましたか。
今日は日に当たりながらウォーキングをして身体をほぐして来ました。やはり身体は動かさなくてはいけませんよね。コロナ禍以来に所沢航空公園まで出かけてきました。ドッグランにも行きましたが、意外にもワンちゃんたちは走り回らずにいました。歳を重ねて老いたのでしょうか。
それよりも普通に散歩の方が元気よく歩いてくれました。
さてこの度は、『法句経』からご紹介します。
「人の生を受くることは難く、やがて死すべきものの今、いのちあるは有り難し、正法(みのり)を耳にするは難く、み仏の世に出づるも有り難し」
当たり前に思っているけれどもこの世には当たり前なんか無いのであります。大人の世界は「タダ」が一番危険だと知っておきましょう。
また知らない人が笑顔で優しい言動で近寄ってきた時は詐欺を疑いましょう。
友達だと思っていても、その友達が宗教を勧誘してきたり、Amwayのようなものを勧めてきたら詐欺相手として見られているかも知れません。
人間の世はずっと繰り返しています。
親鸞聖人は「浄土和讚」に、「善知識にあふことも、おしふることもまたかたし、よくきくこともかたければ、信ずることもなをかたし」と、仰っておられます。
人生も難いが、人生を豊かに生きるべき仏教の教えもなかなか難しいという。善知識とは、遇い難い仏縁に私を誘ってくれた方ということ。また仏さまの教えを他人に伝えることも難い、仏法を日々聞きながら生きていくことも難いから、信じなさいと言われてもなかなか難しいという意味でしょうか。
教えを聞いても分からない私でありますから、聞かないで分かるはずがありませんね。
それなのに聞かずにいて平気なのは、「煩悩」のなせる術でしょう。
今、出遇っている人もいずれ別れていかねばなりません。子どもも連れ合いもいつまでも側にはいてくれません。かけがえのない家族だからこそ嫌われないうちに仏法に遇っておきたいものです。後悔が少なくて済みます。
『歎異抄』に、「名残惜しくおもえども、娑婆の縁尽きて、力なくしておわるとき、かの土へはまいるべきなり」とあります。
必ずその時がやってきます。例外なく。
他人事では済まされません。
そんなことを考えながら今ブログを書いています。少しでも後悔のないように、今出遇えている人とのお付き合いを大切にしながら歩んでいきたいです。おやすみなさい。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
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