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執筆者の写真超法寺の住職

雅、おめでとう

皆さま、おはようございます。

今朝は久しぶりに良い天気に恵まれました。

四国での地震は大きな災害とはなったのでしょうか。

お見舞い申し上げます。

確実に日本中が大きな地震が起こる危険性が増している気がします。

もうどこで起こっても驚いている場合ではないのでしょう。

そういうことでは無常世界に生きることの姿を再認識する機会でもあるのでしょう。


今朝の言葉

 出会いは人生を豊かにし、別れは人生を深くする。


どのような出会いや別れにも必ず意味があります。自分自身がその出会いや別れにどのように向き合い、受け止めるかで、その意味は大きく変わっていきます。


Every encounter or separation in life always have a significance to them.

Their significance changes greatly depending on how we face and accept them.


今日は私の次男坊、雅君の17度目の誕生日です。

ずっと一緒に歩んできました。すいもあまいもずっと共有してきました。

長男坊が事故でこの世を去り、失意の中私に光を与えてくれ仏法聴聞に勤しんで生きる道を知らしめてくれたまさに【善知識】であります。

苦悩の都市開教活動もいつも笑顔で見守ってくれます。

今は孫たちに遠慮して自らは積極的に私に甘えることを控えてはいますが、本当に欠かせない存在であります。

衷心よりお祝いします。


阿弥陀さまのご本願も、

「もし、わたしが仏になったとき、十方のあらゆる人々が、仏の真実心を獲て(至心)

 信じ喜び(信楽)、他力の至心信楽の心をもって、安楽浄土に生まれんと思い(欲生我

 国)、いのちのあらんかぎり念仏相続する(乃至十念)、この真実信心を獲たものは、

 仏の光明のなかに摂め取られ、正定聚(しょうじょうじゅ)の位に定まる。

 そして、いのち終わってわたしの国に生まれることができぬようなら、わたしは決

 してさとりをひらくまい。

 ただし、五逆や謗法(ほうほう)の罪を犯すものには、この二つの罪の重いことを知らせて、十方一切のいかなる人も、回心すれば、みな漏れず、往生することができる」と。


このようにして阿弥陀さまは手立てを尽くしておられるのです。

愚かな自我に執われ、他を責めながら生きるのではなく、鏡のようにして事件、事故を私に見せて愚かな生き方をしないように勧めておられることに気づきたいものです。先日、「人間は汚い」と罵った方に出会いました。

それは間違ってはいないのでしょう。でも、それはどこに視点を持っての発言なのか。よく精査して語る必要がある気がします。皆さまはどう思われますか。

仏教では、人間は自身の損、得で物事を判断して、愚痴や怒り、妬み、欲望に心と身体を悩ませ苦しみ続けると見られます。当たり前なんかないのに、自我の殻に閉じこもっている私をお見抜きくださり、自我の心を南無阿弥陀仏の光明に照らして生きていくことをお勧めくださいます。

あらゆる命にはたらかれている阿弥陀さまにおまかせして生きていくことが私たちが

本当の意味で安らかに生きていけるたった一つの道ではないでしょうか。


そういうことを思いながら今日も頑張っていきます。

今日も整骨院にいきます。昨日の痛みは尋常ではありませんでした。

今日はエコーをしてくださるようです。一時ほどは膝裏の張りは治ったようには感じますがどうでしょうね。

南無阿弥陀仏

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