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執筆者の写真超法寺の住職

阿弥陀さまを仰がないとこうなります

皆さま、こんにちは。

衆院選が終わりましたね。

たった55%の投票率には開いた口が•••です。

私たちの未来を託すべきハロウィンなんかよりマジで大切なイベントを放棄したのです。


約240億円もの税金をドブに捨てたのです。


勿体ないなぁ。

コロナ禍で時間だけは山ほどあったはずなのにたった一枚の投票用紙すら投じられないのだから。

そういう輩がSNSに政治批判、非難を投稿しているという不思議な現象があります。


また、京王線の車中で包丁を振り回して60歳代の方を肺まで達する傷を負わせ意識不明にし、その上でペットボトルに可燃物を入れ火を付けた。

「誰でも良かった。」「二人以上殺して死刑になりたかった。」•••ありゃまた起きました。

身勝手犯罪が。


人間って恐ろしい。


動物はこんな凶悪事件は起こしませんよ。

人間だから反省も学びもせずに繰り返す。


もう一度言いますね。

人間って恐ろしい!


皆さまは人間ですか?


それなら私も含めてこういうことができるということですね。


では何故か。それは阿弥陀さまにお遇いしていないからです。見るだけじゃなくて我が身にいただいて生きていないからこのような身勝手な犯罪を引き起こしてしまうのです。

【凡夫】と言います。


凡夫の意味と愚かさ、悲しさを知らないとこのような生き方になるのでしょう。

【凡夫といふは 無明煩悩われらが身にみちみちて 欲もおほく いかり はらだち そねみ ねたむこころおほくひまなくして 臨終の一念にいたるまで とどまらず きえず たえず】親鸞聖人のお言葉


繰り返し読んでみてください。

【凡夫】をあなたの名前に置き換えて。


◉すべてのことを私中心にみて争いをおこし、欲望•怒り•妬みに、心と身体を悩ませ苦しみ続ける。

⭕️仏法に出あうとき、煩悩に満ち満ちている凡夫は、他の誰のことでもなく、この私のことと気づかされます。

他者を責める前に私こそこのような生き方をしていないかをよく点検したいと思います。


お念仏=南無阿弥陀仏をお称え(声にして)すると我が身の浅ましさを改めて思い知らされます。


私は一人では生きられない。

皆んな繋がっています。

多くな方々の支えにより私がここにいるのです。


誰かの命を奪っても誰もしあわせになどならないのです。

それは日頃からの仏法聴聞に勤しんでいくしかございません。


せっかく大切な人が命をかけて、今まで聞くことができなかった私に法話を聞くチャンスをくださったというのに真剣に聞くことを怠ると•••人間の生き方はこのような恐ろしい事態に陥るのでしょう。


昨夜は色々なことを私に教えてくださいました。


皆さま、皆繋がっていますよ。


私も阿弥陀さまを知ることがなかったらもう、とっくに凶悪事件を起こしていたのかも知れません。

それほど、放っておくと恐ろしい私です。


阿弥陀さまに摂め取られているからこそ、そうはせずに生きているのだと思います。


皆が関わり合って助け合っていくところにこそ、真の喜び、しあわせがあるのだと思います。

自分の欲だけを優先して、他者を責める、他者を陥れることは因果応報=必ず自らの身に災いを迎え入れることになる、と先人たちは教えてくださいます。


ありがたや、ありがたや。

南無阿弥陀仏、ナンマンダブツ。

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