門徒もの知り
- 超法寺の住職
- 6月11日
- 読了時間: 3分
皆さま、おはようございます。
関東も梅雨に入りましたね。
本格的に夏が近づいています。
ということは今年も折り返しだということ。
あっという間に過ぎていきます。
不足を言っていても不満、悪口、愚痴を言っている暇があるならば、お念仏を申してください。
昔から「門徒もの知らず」という言葉がございます。
これは浄土真宗の門徒(檀家)は、友引に葬式をしたり、仏滅に結婚式をしたりして、ものを知らないと江戸時代•明治時代に言われた言葉です。
江戸時代の儒学者、太宰春台の『聖学問答』に「門徒は、弥陀一仏を信ずることを専らにして、他の仏神を信ぜず、いかなることありても祈祷などすることなく、病苦ありても呪術符水を用いず••••」と記されています。
これが【門徒もの知らず】の言葉の出どころだそうです。
江戸時代の浄土真宗の門徒は、そういう意味では正しき仏教徒であり、浄土真宗の教えをよく身につけて、日の良し悪しや、方角の良し悪しにとらわれず、つまらぬ迷信に振り回されることがなかったのでしょう。
「かなしきかなや道俗の 良時•吉日えらばしめ 天神•地祇をあがめつつ 卜占祭祀(ぼくせんさいし)つとめとす」
親鸞聖人のご和讃です。
仏教は因果の道理に反することを外道と言います。深く因果の道理をわきまえて現世祈祷やまじないを行わず、占いなどの迷信に頼らないのが浄土真宗であります。
昨今では「門徒もの知り」になっているようなのが少し悲しく感じています。
そうならないためには、日頃からの仏法聴聞を欠かさないことが大切ではないでしょうか。
皆さま聞いたつもりになっていませんか。
浄土真宗は【聞く宗教】ですよ。
お寺へ参るのは私の今、私の未来を聞いておく大切な機会であります。怠らずお聞かせいただいてほしいのです。
他人(先祖)のためにするんじゃないのです。
不安ばかりの私だからこそ縁者をご縁に聞くのです。
「足が痛いから」とか「仕事が忙しいから」とか理由をつけてお寺へ参らないのはまだ問題になっていないからじゃないでしょうか。
だって皆さま、重い病気になっても同じことを言って病院へ行かない、入院をしないなんてないでしょ。だれもあなたの代わりはできませんよ。
どうしてもお寺へ参れないならYouTubeでお聴聞しましょう。
それでも「スマホを扱えないから」などと逃げ口上をするならば、まぁそれもそれ自己責任ですよ。
お聞かせいただくと安穏な生活が開かれます。
それが嫌ならお好きになさい。
私はお勧めすることしかできないから。
せっかく生まれ難い人間に生まれたというのに、生まれて生き、ただ死んでいくなんて勿体無いと私は考えています。
仏法の智慧(南無阿弥陀仏)が身につけばつくほど罪悪の意識が深まります。
いかに罪深くして生きているこの私であるかは私の心の底からお見抜きくださる阿弥陀さまの【眼】をいただかない限り本当にはわからないのです。
私もそれに気づかずに生きていた愚かな人生がありましたからよくわかります。
今日も生かされて朝を迎える
南無阿弥陀仏
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