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執筆者の写真超法寺の住職

遠いのにすみません。

皆さま、こんばんは。今日は午前中、埼玉県東部の霊園まで参らせていただきました。

早めに出たおかげで思いの外、混雑に巻き込まれることもなく到着しました。

この度は初めてのご縁でした。

墓前でしたので暑かったら•••などと思っていました。何せ日光から身を守るものが無い私ですからね。

今日はお昼から埼玉県西部でお参りがありましたので胸中はヒヤヒヤしていました。

できれば早めに勤めて向かいたいなどと。


それでもやはり、実際にお取り次ぎ(法話)ではお施主の悲しみに暮れている姿と、亡き親を偲んでおられる姿に自然とお取り次ぎに力が入ってしまいました。

もちろん墓前では30分以内で勤めねばならない決まりはございますので。制約の中でお伝えすべきことは精一杯お伝えできたかな?

そんなことを思いながら【倶会一処】(くえいっしょ)の世界についてと、四十九日になぜ法要を勤めるのかをお伝えしました。


【倶会一処】とは、

「生」と「死」を超え、血のつながりの

「有」、「無」をも超えて、倶(とも)に一処(ひとところ)に会うことのできる世界(お浄土)であります。

それは私の信心や努力ではなく、阿弥陀如来の一人ばたらきにおまかせするのみ(お慈悲の心)にてそうなるのです。

南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)を聞いて、受け止めて(いただく)その名を呼ぶこと。

私たちが親を、お父さん、お母さんと呼んだように。

なかなか素直に受け入れられない私のために、阿弥陀さまが、お父さん、お母さんという姿になって現れてくださったのかも知れませんね。


そのような表現でお伝えしました。

悲しみ深く涙されておられました。


「人は心の底から涙を流し、その涙が尽きたときに、新たな自分に気づく」


悲しみの涙だけではなく、その悲しみの涙が喜びの涙になることが私たちが亡き人の今を知らされる中でさせていただきたいことですよね。


必ず、そうなれますよ。

今日は素晴らしい仏縁に遇わせていただき有難うございました。


そのようなご法事をお勤めさせていただきました。

普段より法話の時間を長めにしました。

終わると急いで着替えて、丁寧にお施主や霊園関係者にご挨拶して失礼しました。


お施主からは遠くから有難うございましたと言われました。

「いえいえ、一時間かからずに来ましたよ」というと驚いていました。

渋滞さえなければこれくらいで来れるのですね。


だからこそ、早く出ることが大切なのですね。

ちなみに行きは下道でした。

もちろん、お昼からに間に合わせる為に高速で向かいましたよ。

おかげさまで渋滞もなく予定より早く着くことができましたよ。


超法寺はこのように日々、お参りへ行きます。

どうぞご遠慮なくお申し付けくださいませ。

阿弥陀さまのお使いをさせていただきます。


ご縁あればこそ、お出会いすることができます。遇い難い南無阿弥陀仏に遇える喜びは本当にあり得ないほど素晴らしいと思います。


サヨナラしない世界がある。


また遇える世界がある。


ここにこそ浄土真宗のみ教えの素晴らしさがあると私は考えています。


今日も呼ばれて私が素晴らしい仏縁に遇わせていただきました。勿体ないですね。


お、今日は埼玉西武ライオンズは楽天にサヨナラ勝ちしましたね。

やればできる!

諦めなければ大丈夫ですよね。


私もそうありたいと思います。

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