皆さま、こんにちは。寒い朝ですね。雪でも降りそうな感じですね。
降ってもいい状況の準備はしておきましょう。
さて今日も日頃から気になっていることについてご紹介します。
○浄土真宗で弔電や弔辞で使わない言葉はあるか
私は葬儀の際には弔辞(最近ではほぼない)、弔電披露は退席後にお願いしています。なぜなら浄土真宗とはおおよそ関係のない言葉が乱立しているからであります。
弔辞は本来であれば、事前に導師に見ていただいて手直しをしていただいた上で読むのが原則です。なぜなら浄土真宗の教えは亡き人を阿弥陀さまのお慈悲に救われ浄土へ往生した仏として故人をお扱いします。
弔電も、ひな形から仏教とはおおよそ違う言葉ばかりですから、会社の代表が仏教とは関係のない言葉を文章に使うなど、おおよそご遺族の悲しみに寄り添うような言葉ではないからです。もっと言葉を選んでいただきたいと思うのです。
例を挙げます。どこがおかしいか見つけてください。
「謹んで○○様のご霊前に申し上げます。・・・・・どうか天国で安らかにお眠りください。謹んでご冥福をお祈りします」
いかがでしょうか。
浄土真宗で使わない言葉は、「ご霊前」、「天国」、「安らかに眠る」、「ご冥福を祈る」です。
浄土真宗は先にも申しましたが、阿弥陀さまのおはたらき(他力の信心)によって、南無阿弥陀仏を声に称える人は皆、この世の縁が尽きたならば浄土に生まれ仏に成る教えであります。もちろん称えてもこのお慈悲の救いを疑う人は往生できません。
※「ご霊前」→【ご仏前】、「天国」→【浄土】と言います。
そもそも天国は仏の国ではなく神の国であります。言葉だけではなく意味から違っているのです。故人の行かれた世界を間違えて言葉にするのはちょっと失礼ではないかと思うのです。社会的地位のある方には責任ある言葉(意味)をよく学んだ上でご遺族の悲しみに寄り添う言葉を使ってほしいと常々思っています。
仏教でも迷いの世界として「天・天上」を説きますが迷いの世界と言います。
なぜなら天国は神の国、でも天国に行っても神にはなれないのです。神のお付きにしかなれませんから命は有限なのです。それならばまた迷いの命として生まれてこなければなりません。悟りを開かねば真のしあわせとはならないのです。
よく仏法をお聞かせいただきましょう。
また「安らかにお眠りください」も、仏になったら寝てる暇などありません。
浄土からすぐさま帰って(還相回向)「げんそうえこう」、常に私たちを真実の道、南無阿弥陀仏を受け止め、阿弥陀さまとご一緒に生きていくことを勧めるお仕事をされるのです。
ですから弔辞や弔電の言葉でも「私たちをお導きください」という表現はしますが、「ご冥福を祈る」は使わずに、「哀悼の意を表します」、「お悔やみ申し上げます」を使います。冥土(暗闇)の幸福など祈る必要はありません。ましてやお祈りもしないのですからむやみに使うべき言葉ではありませんよ。
心温まる言葉こそ使って差し上げたいものですね。
「あの世」じゃなくて「浄土」にと使えてこそ、「この人はお寺参りをされて仏法をお聞かせいただいている人なのですね」と言われるのではないでしょうか。
某宗教団体のテレビCMではないですがにんげは「言葉と生きていく」ものですから、正しく言葉は使いたいものですね。
南無阿弥陀仏
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