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執筆者の写真超法寺の住職

超法寺始まって以来の

皆さま、こんにちは。

いかがお過ごしでしょうか。

お昼頃、パラっと一瞬雨が降りました。


さて今日は超法寺始まって以来初めての直接依頼の葬儀、49日を併せてお勤めいたしました。

諸事情で骨葬と言う形ではありましたが、立派に葬儀を勤め、孫さんが素晴らしい歌声で葬儀に花を添えてくださいました。ハートにピンピン響く歌声はあのTANEBIにも決して負けない。プロミュージシャンですか?とお尋ねしたら、サラリーマンをしながら趣味でやられているとのことでした。

いやいや、アマチュアのレベルではない気がしたよ。


住職も負けずにいつも以上に声を張りました。


法名も授与させていただきました。

亡き人を往生の仏さまと見送ることができるのは、私たちを南無阿弥陀仏一つで必ずお救いくださる【ご本願】があればこそであります。


最近では俗名のままでされる方々増えてきて残念に感じています。

阿弥陀さまにお出遇いせずの往生はあり得ません。


「死ねば仏」


これは阿弥陀さまにお出遇いすればこそなのです。煩悩(欲)を脱却しない限り、人間が死んだら仏になることはありません。


迷いを乗り越えていくには、南無阿弥陀仏を称えて阿弥陀さまのご本願におまかせしていくことが必要不可避です。


「親」なればこそ、悲しみに暮れる我が子に、その悲しみを乗り越えていく道を伝えてくださるのでしょうね。

我が親はまさにその通りに伝えてくださいましたよ。悲しいけど有難いです。


真宗大谷派の僧侶、暁烏敏[あけがらすはや]さんが、母親が亡くなった時に詠んだ和歌、

【十億の母】をご紹介します。


【十億の人爾(に)、十億のもの母あらむも、わが母爾(に)まさる、波ゞ(はは)あり奈(な)むや】


※自分を守り育ててくれた母の恩を偲ぶ真心が込められています。

それと共に、あらゆる人々を救いたいという仏の慈悲の力がはたらき出ています。


皆さまは、この和歌に何を感じましたか?

親の恩を知らずに育つと[鬼]が育つと言われます。

「鬼」にはせずと身体をかけて私を育ててくれたからこそ、「鬼」の心が外へ出ず私は人間のまま生きています。


「親心」を知らずに生きると、人間は優しくなれません。他者に対して優しくなれないのは、優しく愛情を注いでくださった母があればこそだと住職は考えます。


素晴らしい親を見送る儀式、葬儀にお出遇いさせていただきました。

改めて亡き我が両親を思いながら、南無阿弥陀仏を称えさせていただきました。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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