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執筆者の写真超法寺の住職

負けてたまるか

【お念仏というのは、つまり、自分が自分と対話する道】(曽我量深師)


おはようございます。

朝から何かモヤモヤした気分です。

相変わらずではありますが嫌な思いからは脱却できない凡夫の私です。

いやはや人間は1人では生きられない。

そんな時はお念仏申してみよう。

あ、でも何も変わらないよね。


南無阿弥陀仏、ナンマンダブツ、南無阿弥陀仏


やはり変わらないよ。

でも、南無阿弥陀仏。


はたらいていてくださいます。

阿弥陀さまが、父母が。


苦悩からは逃れられないけど。

私たちが生きる世界は、腹立ち、嫉み、妬み、愚痴から離れられないのです。


このようにお互いに、顔が違う、性格も違う、歩む人生も違うのです。

お釈迦さまは「人生は苦なり」と、仰っています。長き人生では思うようにならないことが山のように起こります。

「苦なり」は結果ではなく、これから出発し、見極め、この苦悩を乗り越える道を明らかにするものです。


思えば、ある日突然に予想もつかない大事件に出会ったり、大切な人が亡くなってりします。

私は昨年の今頃は、母が入院しています。

リハビリから戻って元気に過ごしてくれるなどと思っていた矢先にです。

まさか、まさかはどこでもない、こんな身近にあったのでした。

あれから一年、私のモチベーションは急降下のまま。立ち止まることを許されず事実を事実として受け止めながら、それでも悲しみに埋没してきました。


母を喜ばせたい。母のために人生の最終章の再スタートをして歩んできたこの8年間。

いよいよだと思っていた矢先に往生してしまった母。母は私に何を思っているのだろうか。

母に依存して人生を歩んできたこの私は何を思って歩めばいいのか。

南無阿弥陀仏を称えつつ必死で頑張ってきたけど、やはり挫折するばかりです。


この数年もの間に友人が何人も突然の急死に見舞われ往生されています。

明日は我が身と思いながら、我はどこへ向かうのか、超法寺はこの先どうなるのかを考えてみたり、日々奮闘しながら自身の力不足を考えずにはいれない。


どうすればお参りが増えるのか。

どうすればリピートが増えるのか。

良い知恵が見つかりません。


焦りばかりでそれでもやってきたが、やはり○○の要請はありつつも応えられずにいる。

誰にも分からない私の苦悩を阿弥陀さまは、静かに見守っていてくださるのですね。

生き抜く力も持たない私がここまで歩めたのは、他ならぬ南無阿弥陀仏があればこそなのは間違いない。


人生は苦なり。


後どれほど私には時間があるのだろうか。

そんなに長い時間は走り続けられない。

私は何のために超法寺を設立したのか。

生きていくため?

いやいや、阿弥陀さまのおはたらきによってです。だったら自分で勝手にあれこれ詮索し悩んでいずに、今を生き抜いていくことに力を注いで行くべきなのでしょうね。


朝からモヤモヤした中、南無阿弥陀仏と対話させていただきました。

くそ、負けるもんか、頑張るぞ。


「負けてたまるか」

寂しさに耐えきれぬほど 何もかもそっぽむいた

誰にも言えずかみ○してる 悔しさが泪になった 溢れくる焦りと苛立ち 酒でさえ抑えきれない ついてないねと 口癖のように おちてく自分に気づいた


だけど負けてたまるか このからだで受け止めて 何度でも立ち上がるから

そうさ負けてたまるか 負けてなるかよ 夢まであと少し



鉛色の夏の空をにらみつけて つばをはいた

過去に浸るのは 老いぼれた証拠

でも気づけばアルバム開いてた

帰りたい帰れないさ どこに俺の帰る場所がある

こんなに弱く ただ情けない甘ったれた自分に気づいた


だから 負けてたまるか たかがこれくらいで

ほらほらそれで終わりか

今は負けてたまるか 負けてなるかよ

夢まであと少し


絶対!負けてたまるか このからだで受け止めて

何度でも立ち上がるから

絶対!負けてたまるか 負けてなるかよ

夢まであと少し

夢まであと少し


【佐々木清次】『負けてたまるか』

米平安高校の先輩です。全国高校野球選手権京都大会で流れる、高校野球球児へのエールになります。

私も研修中はずっとこの歌に励まされ耐えました。厳しかったなぁ。まさに甘ったれた自分に気づいたよね。

ちくしょう、負けへんで。


南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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