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行く資格のない私が往く場所

皆様、こんにちは。夏は去り秋の装いになってきました。いかがお過ごしでしょうか。

さて、もうすぐ秋のお彼岸がやってきますね。

私たちのご先祖はなかなか日頃仏さまのみ教えを聞くことのできない、聞かないことを憂いで、せめて比較的過ごしやすい春と秋に安らぎの世界(安穏)を陽が沈む西に仏の世界を見て、おいわれを聞く行事を制定してくださいました。


この彼岸は日本独自のものだそうです。

皆さま、いつも申しておりますが彼岸はお墓参りするための行事ではありません。

お墓参りならいつでも行けますよね。

[無常]に生きていることを忘れて生きている私に[今]をいかに大切に生きていくこと、それにはいずれ娑婆の縁が尽きたときに私が参る世界をしっかりと訪ねていく機会を持つことが必要ではないかと思うのです。


世間一般的には【死ねば仏】【死ねば天国】などといわれのない誤解が満ち溢れています。

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そんな教えはありません。

真理を知らない人が自分の都合のいいように勝手に解釈しているに過ぎないのです。

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確証もないものに踊らされている私に先人たちがせめてお彼岸くらいは仏法を聞いておくれよ!との願いがあるのです。


ご先祖が大切と思う皆さまなら、私の願いを押し付けていくのではなく、一度ご先祖のまことの願いを訪ねていただきたいと願うのです。


【仏法聴聞】→【聞其名号(もんごみょうごう)】→

南無阿弥陀仏=まことの信心


これができる私になることこそが、ご先祖さまの願いに、応えることであります。


秋彼岸会 表白


敬って 西方願王阿弥陀如来 人界の教主釈迦如来 並びに十方三世一切の三宝にもうしてもうさく 本日ここに○○寺本堂を阿弥陀経所説の如く荘厳して ねんごろに妙典を読誦して 秋彼岸法要を厳修し奉る


それ大経には 法蔵菩薩いますでに成仏して現に西方にまします ここを去ること十万億刹なり

この仏の世界をば名づけて安楽といふ と説きたまい


光明寺の和尚は 西方最も帰すべし とも示したまえり

我今幸いに 弥陀の本願をすでに聞き 念仏申す身となる されば先人の往きたる浄土に いつの日か我もまた往かん


いずれの川も終(つい)には海に帰して一味となるが如く 浄土にて懐かしき方々と相見えん(あいまみえん)こと まことに慶ぶべきことなり

しかれば日輪の真西に没するこの時節 彼方の浄土を想い 深遠の仏恩を謝せんがために ひとときの勝縁(しょうえん)をいただきまつらん

如来 大悲を垂れて哀愍(あいみん)納受したまへ



※法要に際し、この法要はどのようないわれにて勤められるのかを仏に明らかにするものが表白(ひょうびゃく)です。


この意味合いを明らかにするために仏法聴聞する必要があるのです。

決して死んだだけでは西方浄土へ私が行くことはありませんよ。

私がどんなに頑張って西へ向かっても決して行くことの出来ない世界を阿弥陀如来のお慈悲をいただくことにより参ることができるのが、阿弥陀如来さまの【不可思議】のお慈悲なのだから。


南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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