皆さま、こんにちは。
朝から小雨模様でしたが午後になり太陽が顔を見せてくれました。
まだまだ不安定なお天気です。
さて、今朝は都内までお参りしてきました。
最愛のお父さまとのお別れに最後まで「ごめんなさい」と泣いておられました。
どのような生前のご関係だったのかはわかりませんでしたが、大好きだったのでしょうね。
私にはおかげさまでまだ父がいます。
私が離れてから6年であっという間に年老いてしまいました。
あの力強い父がすっかり見る影もなく(ま、世間的、年齢的には年相応なのですが)、弱々しくなったようです。
このような時に、黙って見ていてあげる方がいいのでしょうが、私は思わず声をかけてしまいました。「幼い子供さんに、おじいちゃんの素敵なところをたくさん話してあげてください。」
「私は私の知らない父や母のことをおじさん、おばさんたちから聞くと本当に嬉しかったですよ。」
などとお話ししました。
お父さまは身をかけて、自らのいのちの行方を教えてくれていますよ。
南無阿弥陀仏、ナンマンダブツ•••と、お念仏を聞かせていただけたということは、お浄土で待っています•••と、教えてくださいます。
「縁」は「縁起」といい、仏教の最も重要な考え方です。
あらゆる命は相互に関わり合って存在し、また変化していくのです。
私という「果」存在、その直接的原因である「因」は私の両親です。
しかし、両親が存在すれば勝手に私ができるかといえばそうでもありません。
両親が出会い、恋愛に至り、結婚して、私が生まれました。
互いが出会い、結ばれるという「縁」がなければ私という「果」は生まれないのです。
そして、私は人の親(私はなってませんが)となり、自分の子の「因」となっています。
こうやって世界のあらゆるものは関係しあって、生まれたり、死んだりしているのです。
その死にゆくものも全く消えてなくなるものではなく、別の形に変化して存在している。
つまり仏教では、世界は関わりの中で変化を続けながら存在している、と考えます。
互いが関わり、影響し合っていますので、全てのものは変化します。〈諸行無常〉
その変化するもの同士の関わりの中では不変の実体をもったものはいません。〈諸法無我〉
それは、お釈迦さまが作り出した理屈ではなかなく、もともとこの世界にある原理原則だというのです。「縁起」は、お釈迦さまの教えを理解するうえで一番大切な教えの一つです。
しかしながら、このような「縁起」を知らずに身内同士で争い、傷付け合い、殺し合うことが繰り返されていることは本当に愚かなことだと思います。
今や日本で起こっている凶悪犯罪の約65%は家族間で起こっているそうですよ。
あなたのご家族は大丈夫ですか?
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