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執筆者の写真超法寺の住職

苦しくったって、悲しくったって。

皆さまこんばんは。

もう十一月後半ですが、年末年始のイベントの広告等が今年も賑やかに

街を彩り始めてきました。コロナ禍が落ち着きを見せる中、どうにも私たちは油断するばかりです。実際にはコロナ禍は終わってはいないのです。

新種もどんどん増えています。インフルエンザも猛威を奮っているのです。

それでも人間の欲望は楽な方へ向かっていきます。

年始となればお正月の新年祈願に受験祈願。でも祈願したからって思うようにはならないのですよ。年末ジャンボ宝くじ発売も始まったでしょう。

お金持ちや賢者は買わないことは皆さまはですか。

統計では一等とうせんしゃの約六割が自己破産したり自殺をしている現実があるのです。

ということは不幸になるために宝くじに夢を託すと言っても過言ではないのかもしれませんね。どうですか?


お金は大事だよ。(結構CMで流行りました)


宝くじに数万円も数十万円も注ぎ込む人がいまだにいる。

恐ろしい話です。

YouTubeで多くのユーチューバーさんが実験をされていますが、ことごとく「損」をしている。テレビ番組でも芸能人がやっていますが、結局そこそこでしかありませんし、彼らは損してもギャラがありますからそんなに困らないのですよ。

でも祈祷して当たるなら祈祷祈願した人がみんな当たらねばならなくなります。

その上、一等当選しても約六割もの人が人生を棒に振っている。

高額当選をしたばかりにです。


こんな理不尽なことがあるでしょうか。

あるのが諸行無常の人間世界なのです。


「あ、あぶない!今の私の拠り所」(竹内順導)


いつでも何かに頼らねば生きてゆけないような弱い自分がある。

これこそは、この人こそはと、とめどもなく最終的には神社までをも

その対象としてゆく。しかし、それは依頼心である限り「裏切られた、こんなはずではなかった。」というはね反りで苦しんでゆくしかない。

その原因を「有相の執心であるから」と教えてくださる。

頼るなというのではない。苦しみは頼った自分の心が原因であったと気づけよと教えてくださるのです。


「間違ったことを信じるくらいなら、何も信じない方が良い。」(高千穂正史)


オウム真理教の事件が、この言葉に意味を証明してくれました。

「宗教は何でもいい。熱心にさえすればいいのだ」という人がありますが、とんでもないことです。私達は、常に正しい教えを正しく聞くことを考えねばなりません。


住職は思います。

旧統一教会の事件もやはり同じでした。

実は詐欺事件で被害に遭った人は被害者の会に必ずいるんだそうです。

豊田商事で詐欺に遭った人が、オレオレ詐欺の被害者の会にも参加していたりするそうです。宗教も騙された人は何も後悔も反省もせず、真実の宗教を求めようともしない。自己の殻から出ようとはできないのが人間の悲しさなのでしょうか。

人間って真実ではないものとわかっていても、神秘的なもの、スピチュアル的なものに惹かれるものなのです。冷静になってみればおかしいってわかるのに。


「眞実信心」を求めて行かれたのが親鸞聖人であります。


私の人生に本当の灯を掲げてくださった人でした。

阿弥陀さまのお誓いを聞き、阿弥陀さまの願いと共に人生を歩んでいく。

これがあればこそ、どんな苦悩も乗り越えていけるのです。


南無阿弥陀仏

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