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執筆者の写真超法寺の住職

苦しい人生も

皆さま、こんにちは。

今日も良い天気に恵まれましたが寒いですね。

もう12月も中盤だから致し方ありませんが。


さて、今政府は増税をどうやってやるか、この円安ドル高の中、資源高の中、日本の国防のために1000000000000円を国債ではなく増税で賄おうとしているのですね。


今回のウクライナのようなことは確かに我が日本も例外でさないのですから。いつロシアが中国が攻めてきても何ら不思議ではありません。

離島も無人化していればあっという間に奪われてしまいますからね。


このように私たちが生きていくにはなかなかハードなことがあるのですね。

人間が生きていくにはいつも【苦】が伴います。

【老いる】【病】【死んでいく】【死んだらどうなるかの不安】


これは人間の知識では解決できません。

これほどネット社会になっても未だ解決されないのです。何故でしょうか。

人間が興味を持ちたくないことだからです。


楽しいこと、気持ちいいこと、美味しいことには誰よりも先にと大騒ぎする人間も、辛いこと、嫌なこと、苦しいこと、痛いことはできれば避けていきたいものなのです。


しかし人間である以上、必ず生命を終えていかねばならないのです。

それも老若男女問わずに、縁が尽きれば今すぐにでも人生を終えていかねばならないのが私たちの人生なのです。


それにも関わらず、自分は何のためにいきているのか、死んだらどうなるかが問われない人生を圧倒的な方が生きているのが現実ではないでしょうか。


皆さまはどうですか?


誰も一緒には死んでくれませんよ。


私が今住む入間市は地図で見ると魚のマンボウのような形をしています。

マンボウは、卵を300000000個産むそうです。

その300000000個の卵が全て成魚になればマンボウという種は滅びます。

大多数は卵の時か幼魚の時に他の魚のエサとなって死んでいく。

それで種が続いていくのです。


それは人間も同じです。

生まれた人が皆死ぬことがなかったらやはり人類という種は滅びます。

個体が死ぬことで種が保たれるのです。

私が死ぬことは他の役に立つのですね。


また私が死ぬことで、私の迷いも終わるのです。

我執我欲(がしゅうがよく)を断滅し、利他一筋の仏となって、有縁の人々の上に生きていくのです。


人間は生きている限り、死にたくない。

その思いを心の底に持ちながらも、人生の終わりが近づいてくると、「やがておわるんだなぁ」と、私の死も•••••。


私も皆さまも阿弥陀さまに出遇うならば、必ず浄土に生まれ、仏にならせていただいて、子どもや孫や、ご縁を持たせていただいた人たちの上に、仏のはたらきとなって生きていくのです。


これを【無上涅槃】、【大涅槃】と言います。


死は涅槃、無上涅槃です。


しかし私の命は終わっても、私は終わりません。

私の煩悩が終わるんです。

だから浄土真宗は、【往生】というのです。


いつまでも他人事ではありませんよ。

必ず私の番が回ってきますよ。

それは今日かも、明日かもしれませんが必ず。


いつその時が来てもいいように準備だけはしておきたいものですね。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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