聞いても聞いても

皆さま、こんばんは。

九月の台風は2016年以来の多さだそう

ですね。台風の影響がある方々にはお見舞い申し上げます。しかしながら確実に冬へ向かっています。

もう今年も3か月です。

また、あけましておめでとうございますがやって来るのですか。毎年毎年、新年がそんなにめでたいのですか。


私は毎日毎日が有り難いですね。

二度とないこの一日を過ごすことが本当に有り難い

のです。

皆さまは今日何人の人と出会いましたか?

買い物に行きレジに並んでいると、皆さま、黙ってお金を払い、黙ってお釣りを受け取り、黙って帰っていかれます。詫びしいですね。


私は必ず、「ありがとう」と声にしています。


縁あれば出会えた人だから。

そして、もう二度と会わない人かもしれない。

人は「縁」を口にするがあまり「縁」の本当の意味を理解していないように思います。


だから出会いに感動がない。

だから別れがただ悲しいだけで終わるのでしょう。


別れを知る者は、出会いを大切にすると言います。

ま、私の勝手な言い分かもね。


最近、時間を持て余しているので断捨離をしています。長く生きていると捨てられないものが増えていく。一年一度もみないのに捨てられない。

私のものは私にしか大切じゃない。

つまり、私がこの世から居なくなればただゴミのようなものだから。

わかっているのにやはり捨てられない。

でも、少しずつでも処分しておかないとやはりいずれ困る人がいるはずだ。


そんなことを思いながら、父からの手紙が出てくる。もうこんな字はきっと書けないのだろうなぁ、などと思ったら泣けてきましたよ。

母亡き今、私が呼べる親はあの父しかいないのだ。

色々あったが、どんなに思ってもあの父しか私にはいないのです。

病に臥しているが回復してまた帰ってきてほしい。

まだまだあなたが去るのは私には辛すぎる。

「諸行無常」とわかっていてもまだまだ生きていてください。優しくしてくれなくていいから生きていてください。悲しすぎますよ。

でも、あなたは自分勝手に生きてそして死んでいくのでしょうね。


思い出って大切だけど、ある意味残酷なのかも。

人間ってわがままだ。


《魚は海の潮の中にいても、塩がしみこんでいないのは生きているからじゃ。


陸にあげられ死んだ魚は、塩をするとすぐにしみこんでカライ。


われわれも、日々法の中につかっていて、法のしみてこぬのはなぜか。


オレが生きているからじゃ。》物種吉兵衛


◉法を聞けども、法がしみこむ邪魔をしてしまうのは、邪見や慢心が先に立って法を拒んでしまうからだという。


どんなに素晴らしい「法」をいただこうと、こちらへ持ってきたらあっという間に呆けてしまいます。

だからこそ阿弥陀如来さまは全てを「南無阿弥陀仏」に込めてくだされたのです。

だから、邪険驕慢のまま「なんまんだぶつ」とお称えすればいいのです。

疑うから「南無阿弥陀仏」と、声にならないのだ。


親だって疑っていたら、「お父さん、お母さん」、「パパ、ママ」と声に出して呼べないよね。

安心があるから、いつでもどこでも何度でも呼べるんだからね。


もう私には「お母さん」と呼んで返事してくれるお母さんはここにはいない。南無阿弥陀仏になられました。それを教えてくれた「親」が有り難い。


皆さまはいかがですか?

まだ天国に行ったなんて思っていますか?


南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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