top of page
執筆者の写真超法寺の住職

私もこうなる(四門出遊)

皆さま、おはようございます。

今日はクリスマスですね。

昨夜のイブはいかがでしたか?

我が家はいつも通りでした。


『旅サラダ』を観ています。

神田正輝さんがいつものように出ていました。「みなさんに守られているようですが、私はげんきですよ。」と、おっしゃられていました。

でも最愛の我が子を見送られたのですから辛くないわけはありません。

お見舞い申し上げます。


今朝は、お釈迦さまが出家される動機として伝えられている物語、「四門出遊」(しもんしゅつゆう)をご紹介いたします。


インドの釈迦族の王子でありましたお釈迦さま。ある時、家来の者に誘われてカピラ城の東門から外へ出られました。

そこで腰の曲がり痩せ衰えた老人の姿を見ました。

「自分もこうなるのか」

と思うと、遊びに行く気になれずに城に帰ってこられました。

次に南門から出て病人を、西の門から出て死者を見て、悲しみに暮れる人々を見られました。

「自分もこうなる」と思い、いずれも城に帰ってこられました。

その後に、お釈迦さまは心に決するものがあったのでしょう。

城を出てすぐに、今度は我が子が生まれたと知らされ悩みます。

一説には悲しみに泣かれたとあります。

我が子が生まれて嬉しくないはずはありませんでしょうが、やっと出家を決心したというのに•••執着が、ひょっとしたら我が子に先立たれてしまうかもしれない、ひょっとしたら我が子が病で苦しむかも知れない•••と、あの四門出遊で見たような光景が我が身のこととして起こるのではないかと苦しまれました。


「自分もこうなる」

老•病•死を我が身の上に見て行く。

そこから一人一人の仏道が始まるのです。


厳しく残酷ですらある老•病•死の現実を生き抜いてゆくには、確かな覚悟が必要なのです。

人生を当たり前と生きている油断こそが必ずある無常の厳しさを目の当たりにすることになるのです。


今日という日は二度とございません。

「今」しか確かなものはありません。

私の命は生きていくことにより意味を知らされます。

生きていくことを今日も大切にしていきたいと思います。


寒波が近づいているそうです。

是非ドライバーの方は、冬タイヤの装着をしておきましょう。夏タイヤでは危険だし、周りに多大なご迷惑をおかけしてしまいますよ。

今年こそ怠らずにしたいものです。


他人のふり見て、我がふりなおせ。


南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

閲覧数:27回

最新記事

すべて表示

Comments


bottom of page