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私の往く道

皆さま、おはようございます。

雪は降っていますか?

我が街は降っていませんでした。

嬉しいやら寂しいやら。


うちの子たちは何か残念そう。

庭かけまわり♪とはなりません。

寒そうに毛布にくるまっていますよ。


ネットではトルコシリア大地震での死者が2万人を超えてしまったようです。

痛ましいことですが何もできないのが悩ましいです。ただ1人でも多くの子どもたちの無事に救出されることを願うばかりです。


このような事態だというのに、ウクライナの大統領は戦闘機の供与を求めて歩いているとの報道が悲しい。しばらくでいいからロシアも停戦していただけないでしょうか。


それぞれの都合はあるのでしょうが、どうして人間は悲しみに寄り添えないのでしょうか。

私たち日本人も、東日本大震災の悲劇を忘れてはなりません。何か他人事にテレビで放送されていることが私には違和感を感じてしまいます。


やはり人々の悲しみ苦しみに寄り添ってくれるのは神仏だけなのでしょうか。


2月15日はお釈迦さまが亡くなられた日で【涅槃会】と言います。

世間ではバレンタインデーに浮かれているのでしょうが。


ではお釈迦さまは何を私たちにお伝えくだされたのかをご紹介します。


〈人生の旅は始まっている やがて終わる どこへ往くか どこへ帰るか〉


拝読『浄土真宗のみ教え』

 真実の教え

あらゆる者を救いとる教えこそ真実の教え、究極の教えである。

親鸞聖人は仰せになる。


 それ真実の教を顕さば、すなはち

 『大無量寿経』これなり


『大無量寿経』には、あらゆる人を【念仏一つ】で救おうと誓われた、阿弥陀如来の本願が説かれている。


釈尊(お釈迦さま)はその生涯を通して、さまざまな教えを説き広められた。

この経が説かれるとき、釈尊のお顔は、いまだかつてないほどに悦びにあふれ、気高く光り輝いておられた。

あらゆるものを救いとる阿弥陀如来の本願を説くことこそ、釈尊がこの世に出られた目的だったからである。


いま、雪が降ってきましたよ。

やはり降りました。

今日はお家でゆっくりしましょうか。

車に乗っている方はノーマルタイヤでは無理ですよ。


さて続いてお釈迦さまは、【縁起】【無常】【無我】の道理、この世の法則を悟られて仏(目覚めたもの)になられました。


しかし本当の事実は、「私が(釈尊)目覚める前も悟る前も、私は縁起•無常•無我の法の中にあった。目覚める前も、法のはたらきによって生かされてあった。目覚めたのは私、悟ったのは私だが、その私に、目覚めを促し、悟りを開かせようと、法がはたらいていた。その縁起•無常•無我という法のはたらきが、私を目覚めさせ悟らせてくださった。」


【縁起•無常•無我】の法が、お釈迦さまをして悟らせしめたというのが事実ではなかったでしょうか。


この法は、あらゆるものの上に何時も平等にはたらいています。すべてのものを、そのままに存在せしめています。

すべての心あるものに、目覚めを促しています。

その法のはたらきの、時間的、空間的無限性を、何時でも、何処でも、誰の上にもはたらく、そのはたらきを、お釈迦さまは、人格的に阿弥陀仏と了受(りょうじゅ)されたのです。


その法のはたらきに、すべてのものを照らす無量の光と、すべてのものを生かす、無量の寿(いのち)のはたらきを見られたお釈迦さまは、その法のはたらきを、無量寿•無量光の阿弥陀仏と了受されたのです。


そして、お釈迦さまは、自らがその阿弥陀仏に成りきって、すべてのものが救われ、すべてのものが仏に成る、阿弥陀如来の本願念仏の道を、『大無量寿経』に説いてくださったのです。


⭕️浄土真宗とは、『大無量寿経』の教えです。【大無量寿経に説かれている阿弥陀如来の選択本願(せんじゃくほんがん)、すなはち第十八願の念仏の救いの法が浄土真宗なのです。


最後に、『大無量寿経』に説かれてある阿弥陀如来の四十八願の中、第十八願の願文(がんもん)と、その意味をご紹介します。


◉第十八願文

【設我得仏(せつがとくぶつ)十方衆生(じっぽうしゅじょう)至心信楽(ししんしんぎょう)欲生我国(よくしょうがこく)乃至十念(ないしじゅうねん)若不生者(にゃくふしょうじゃ)不取正覚(ふしゅしょうがく)唯除五逆(ゆいじょごぎゃく)誹謗正法(ひほうしょうぼう)】


◉読み下し

【たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、至心信楽して、わが国に生ぜんと欲(おも)ひて、乃至十念せん。もし正ぜずは、正覚を取らじ。ただ五逆と誹謗正法とをば除く。】


◉現代語訳

【わたしが仏になるとき、すべての人々が心から信じて、わたしの国に生まれたいと願い、わずか十回でも念仏して、もし生まれることができないようなら、わたしは決してさとりを開きません。ただし、五逆の罪を犯したり、仏の教えを謗る(そしる)ものだけは除かれます。】



南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と、お念仏を称えて、そのお念仏(南無阿弥陀仏)のお心を我が身にいただき、共に[お浄土に生まれ仏になります]と、この人生を歩ませていただきましょう。


⭕️【浄土に生まれて仏に成ります】

そう答えられるのが浄土真宗の教えを受けとった人【門徒】(仏教徒)というのです。


❌南無阿弥陀仏を称えないのは、浄土真宗では不義理といいますよ。私たちに身をかけて勧めてくれたご先祖のためにも、ナンマンダブツを称えたいものですね。


⭕️❌つけてごめんなさい。

わかりやすくあえて付けました。


南無阿弥陀仏、ナンマンダブツ、なまんだぶ

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人間に生まれることは難しい。 「礼讃文」(らいさんもん)には、 人間に生まれてきて仏法に遇うことはまたかなり難しいことである、人間に生まれてきた今ら仏法に遇うて救われなかったならば、もはや私が救われることなど望めません。 [三帰依文](さんきえもん) 人身(にんじん)受けがたし、今すでに受く。仏法聞きがたし、今すでに聞く。 この身今生(こんじょう)にむかって度せずんば、さらにいずれの生(しょう)に

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