昨日の続きです。
東井義雄さんの詩です。
「川にそって岸がある 私にそって本願がある 川のための岸 私のための本願」
東井さんは、
どうにもこうにも頭があがらない広大な世界に目覚めさせていただくために、気がついてみると、幼い時から、ずうっと、ずうっと、そういう私によりそって、はたらきずめにはたらいていてくださったはたらき、願いがあったのです。
と、仰っています。
この深い感動は、「岸のために川が流れているのではなく、川のために岸がつくられた」のであったという深い喜びとなっているのです。
【私のために本願がはたらき、できあがってくださった】という確信でありました。
だからこそ、
「雨の日には 雨の日の生き方がある」と受け止めた人生が持てたのでしょう。
これこそ【自然】(じねん)ということであり、【無碍】(むげ)ということだと思います。
『歎異抄』の第十六章に、
【すべてよろづのことにつけて、往生にはかしこきおもひを具せずして、ただほれぼれと弥陀の御恩の深重なること、つねはおもひいだしまゐらすべし。しかれば念仏も申され候ふ。これ自然なり。わがはからはざるを、自然と申すなり。これすなはち他力にてまします。】
と語られているように、私たちは、何のはからいも持つ必要がないのです。
限られた私の人生であっても、私にとって、「死」は私の終点ではありません。
この私のために建立していただいた【浄土】に生まれさせていただく身であると知らされたら、私たちもこのような思いで、人生を明るさと豊かさ、優しさを持ちながら南無阿弥陀仏を称えながら、しっかりと生きていきたいものですね。
お彼岸とは、そのおいわれをしっかりと聞いていく仏教行事であります。
超法寺の秋季彼岸会は、来る23日14時から勤めさせていただきます。
是非お参りくださいませ。
お待ち申しておりますよ。南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
Comments