私のいのちを訪ねる
- 超法寺の住職
- 3月16日
- 読了時間: 3分
皆さま、おはようございます。
今朝は雨が本格的に降っています。
車を運転される方は十分に気をつけてくださいませ。
さて今日は横浜市でご縁をいただきます。
もうすぐ春のお彼岸ですね。
お彼岸は仏教行事ですが日本独自なもので、やはり日本には四季があるからでしょうか。
昔から「暑さ寒さも彼岸まで」と言われます通りに季節の変わり目に当たります。
ではお彼岸とは何をするのでしょうか。
世間ではお墓参りをするのでしょう。
浄土真宗ではお彼岸を【讃仏会】(さんぶつえ)と言われます。仏さまを讃える集いです。
ではどうして仏さまを讃えるのでしょうか。
私たち人間は日々、煩悩(欲)の中に生きています。モヤモヤ、ヒヤヒヤ、ドキドキ、ハラハラ、イライラ、ムカムカ•••••、これら全て欲であります。
ネットニュースを見ていますと驚かされます。
街頭演説をしていた方が暴漢に切りつけられるという事件が起きて犯人を責めるより、加害者に某省庁がやらせたなどとSNSに書き込む有様。こんな国になってしまったのですね。何でも憶測で自分勝手に論じ、訴訟になると逃げていく。そんな身勝手さが当たり前になってしまった。悲しいことだと思います。
被害者を労る世相はどこへ行ってしまったのでしょうか。この辺りが加害者の判決が軽いものになって被害者の苦悩が解決されない要因になってしまっているのでしょうか。
このように私たち人間は、どうして人間に生まれてきたのかの目的を見失っている。お坊さんですらSNSで目的を見失っている。そんな気がします。では私たち人間の目的って何でしょうか。それを訪ねる行事がお彼岸なのです。
答えをここで見ても解決はしません。
人生の生きていくことは目的ではなく手段。
川には必ず岸がありますよね。
だから私に沿って仏があるのです。
かの一休禅師は仰っています。
「阿弥陀仏、みなみにあるを知らずして、西を願うははかりなかりけり」
このお言葉の意味をお聞かせいただくことが大切だと私は常々思っています。
また『歎異抄』には、
「なごりおしくおもえども、娑婆の縁尽きて、力なくしてをわるときに、かの土には参るべきなり」とあります。
これはどういうことでしょう。是非他人事にしないで私の人生の目的についてお聞かせいただく機会にしてみませんか。
そんなことを降り続く雨を眺めながら感じていり私でした。
今日は入間市議選です。
帰ったら投票に行かねばなりません。
今回はかなり悩んでいます。
入間市の未来を誰に託していけばいいのか。
「給食費無料」を政策として訴える候補ばかり。どうして日本は貧しい国になってしまったのでしょうか。
毎月100人ほども人口が減っている我が街入間市。入間市に住みたいと思ってくれるために政治家が何を考えるべきなのかが私とはだいぶ違うように感じます。
有権者も一票を放棄するのでは良くなるはずはありません。入間市に生まれ育ってきた方がどうして。いや、他所から来たからこそ魅力がわかるのかも知れませんね。
ま、これも人生の手段ですから。
目的の前には大したことでは無いのでしょうか。
南無阿弥陀仏
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