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「福」はどこ?

執筆者の写真: 超法寺の住職超法寺の住職

皆さま、こんばんは。

明日から早くも二月であります。

あっという間に月日は過ぎていきますね。

まさに「諸行無常」、「無常迅速」です。


さて今年の節分は二日だそうです。

節分と言えば、「鬼は外、福は内」。

しかし昨今ではあの有名な成田山新勝寺でも、

「鬼は外」は言わないようです。

なぜでしょうか、ご存知ですか?


そもそも日本の風習は皆、祈願であります。

浄土真宗では阿弥陀如来のご本願を我が身にいただきながら生きていきますので、阿弥陀さまと二人三脚です。

つまりは365日大吉であります。

私が抱える鬼とは、煩悩であります。苦であります。

これは豆を撒くだけではどうにもなりません。


年越しそばと同じで長生きできるようにとの願いから食べられてきました。それに油断して餅を喉に詰まらせて救急車に運ばれてしまうこともありますから、何があるかわからないです。

有ることばかりが無常であります。

このように生きるということはなかなか大変であります。

毎日普通の同じで変わり映えのささない日々が実はどれほど幸せであったかを知らされたら祈願など必要ありませんね。


「福」(ふく」、結局(く)が残ってしまうからね。

これが人生であります。

我が家では生前母が豆まきをする私たち子どもに「あら、豆まきするの?いいけどお母さん掃除しないわよ」とやんわりと必要の無さを教えてくれていました。


ま、子どもですからいきなり南無阿弥陀仏があるからなんてわかるはずなどないですからね。

やんわりと優しく教えてくれていましたよ。


「苦」を抱えて生きる私たちが安心して生きていくには、悩みをそのまま抱き止め支えていてくださる真実なるものが必要です。

それこそが南無阿弥陀仏であります。

先手おはたらきですね。

仏法を聞くということの大切さは真実なる世界を訪ねていくかとだてた思います。


だからこそ私は今年の節分も歳の数ほど(58粒は多いが)静かに食べながら、生前の母を思いながら過ごしたいと思います。


皆さまもそれぞれの思いから節分を愉しんでいただければと思います。

明日は三鷹市とさいたま市北区までお参りします。安全運転します。

ま、それでも遇う時には遭うでしょうが。

それでも阿弥陀さまはご一緒です。

南無阿弥陀仏

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