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祈らなくてもいいんだよ

執筆者の写真: 超法寺の住職超法寺の住職

皆さま、こんばんは。今日は一日思いを巡らせるばかりでした。

あまりそういうことはしないのですが、どうにもならない事案に

悪戦苦闘してしました。でも安心してください。

きっとすぐ、「ま、いいか」になると思いますから。

典型的なO型気質です。

悩んでも頭を抱えても、なるようにしかならないのにね。

時に口にナンマンダブツと声に出てくださいます。

ご心配いただいているのですね。

心配ない。私が祈る前に願う前にずっと前から願われてあったのです。

私が私でちょうどよかったんだ。だから心配しなくていいんだ。

そう、常に私を抱いていてくださいます。

それがナンマンダブツであります。


「されば南無阿弥陀仏と申す体は、われらの他力の信心の得たる姿なり」


他力とは「わたしのはからいの必要のない」もの。

どこまで行っても、阿弥陀さまのお目当ては煩悩具足の凡夫たるこの私で

あります。そして「老い」「病気」「死」はいつ訪れるかは誰にもわかりません。

「名残惜しく思えども、娑婆の縁尽きて力なくしておわるとき、かの土へは参るべきなり」『歎異抄』


この土とは、お浄土であります。天国ではありません。神との約束が守れない私が、

どうやって天国へ行けましょうか。それに天国は神にはなれませんから命は有限。

だから仏教では迷いとおっしゃっておられます。お浄土は阿弥陀さまのご本願を信じ、念仏を申す身にならせていただき阿弥陀さまの大慈悲心に救われていくのです、

私の勝手で往生はできません。このおいわれをよくお聴聞させていただきましょう。


私は何の為に今日を生きるのでしょうか。

全てを失うためではありません。死ぬのは私が抱えている煩悩が死ぬのです。

私は往生させていただくのです。そう願ってくださるのが阿弥陀さまの南無阿弥陀仏の声であります。わからない私をそのまま抱きとめてくださるのです。

南無阿弥陀仏を声にさせていただいて、今日を阿弥陀さまとご一緒に生きていくのです。二人連れであります。


だからこそ、私の祈りは必要がありません。

祈る前に全部仕上げられている願いであります。

いのりたくなるのは、自分が救われていないと思っているからです。

南無阿弥陀仏を「灯」にして闇世を堂々と生きていきましょうよ。

そう願っています。

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