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執筆者の写真超法寺の住職

皆だれかの役に立っています

皆さま、こんにちは。

暖かな今日ですね。とても11月とは思えない陽気さに私たち人間の欲望がいかに地球に優しくなかったのかを痛感しています。

直接的でも間接的でも私たちが生きることはこの地球には大変なご苦労をおかけしているのではないでしょうか、もう一度よく考えたいものですね。


皆さまはご飯の時、「食事の言葉」はおっしゃっておられますか?

まさか、黙って手も合わせずに食事をされていますか。

最近では自分がお金を払っているのに、どうして「いただきます」とか言わなきゃいけないのですか、などと真顔で言われる方々がおられるのです。私とは違うのですね。


「食事の言葉」

【多くのいのちと、みなさまのおかげにより、このごちそうを恵まれました。

深くご恩をよろこび、有り難くいただきます】


【尊いおめぐみをおいしくいただき、ますますご恩報謝につとめます。おかげでごちそうさまでした】


この言葉の通り、私のすべては【多くのいのちと、皆さま(自分以外の全ての人)のおかげです】

私たち人間は皆、多くのいのちとみなさまのおかげで生かされているのです。

自然の恵みと全社会のおかげです。

これがなければ私はこの地球に生まれてくることも、今こうして生きていくこともできません。私は他の【おかげ】で生かされています。

それならば、他のお役に立てるように生きていかねばならないことは必然だと思うのです。


私はみなさまの中の一人です。

私が生きているだけで、私の存在は誰かのお役に立っているのです。

人間はどんな状態にあろうとも、存在している限り、その人を【縁】として、人や物やお金が動きます.それによって生きている人がたくさんいることを忘れてはいけません。

皆さまはたまにはコンビニでおにぎりを買いませんか?あの200円ほどのおにぎりを作るためには一体どれほどの方のお力が必要かご存知ですか?

実は約3.000人ものお力が必要なのです。

お金を出せば(PayPayも)簡単に手に入るからと安易に考えてはなりません。

だからこそ、少しでも良いことを心がけて他のお役に立ちたいものですね。


けれど、人間は[老い]も[病]も避けられません。[若い]からと言ってそうならないとは限りません。

それなのに油断して自分の考え方を最優先にして生きようとするのが【凡夫】という生き方ではないでしょうか。

縁にあえばどのようなことでもしでかすかわからない、そんな私なのですから。


それでも人間は、生きているだけで誰かの役には立っているということを忘れないでください。

明石家さんまさんは【生きているだけで丸儲け】って言われますよね。


何度も言いますが、人間は生きているだけで誰かの役に立っています。

このことを見失うことなく生きていく。

そして、少しでも積極的に他のお役に立てるようにに、他をしあわせにするように生きていきましょう。


[まず笑顔 私にできる ボランティア]

某新聞にありました川柳です。


これこそ誰にもできる【布施】ですね。

お金や物を与えるのも布施ですが、教えを説くのも布施です.例えば体の不自由な方に席を譲るなどさまざまな布施があります。


するんじゃない、させていただく。


我が恩師の常々の仰せであります。

「してやった」などという乱暴な布施もあるのでしょうか。それではした方もされた方も笑顔にはならないと思うので、やはり布施行ではないのかも知れませんね。

超法寺は、誰もが優しく笑顔になれるように常に心がけています。

どうしたら人間はそうなれるのかを考えながら生きるようにしています。


恵まれた暖かい今日を大切にして生きてみましょうよ。きっと笑顔溢れますから。

南無阿弥陀仏

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