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『白骨の御文章』

皆さま、こんにちは。

今日はお天気には恵まれましたが風は強く吹いています。もう春はすぐそこですね。

WBC本番です。日本代表を応援しましょう。


さて今日は年々強く感じられている【無常】についてを他人事ではなく、我がこととして蓮如聖人(上人)の書かれました『御文章』の【白骨章】を意味と共に味わってみます。

最近ではなかなか通夜が勤まらないためになかなか拝読する機会がありません。

悲しみのどん底でご拝聴しますと心に響くものです。


「それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、おはよそはかなきものはこの世の始中終(しちゅうじゅう)、まぼろしのごとくなる一期なり。」


【意味】

「浮生」とは「浮き草」です。

「浮き草」には根がありません。

あっちに行ったり、こっちに行ったりして定住しません。要するに「人間も浮き草ですよ」、まさに諸行無常ということをいうのですね。

「はかなきもの」ですが「儚い」とは「人偏に夢」と書きます。人間が見る夢ははかないもの。その夢のようにはかないのが人間存在なのでしょう。

「この世の始中終」ですが、この世界の「始め•中•終わり」ということ。まさに「この世の全て」ということですね。

人生の全てが「まぼろしのごとくなる一期なり」なのです。

これはそのまま説明はいりませんよね。


「さればいまだ万歳(まんざい)の人身(にんじん)を受けたりといふことをきかず、一生過ぎやすし。いまにいたりてたれか百年の形体(ぎょうたい)をたもつべきや、われや先、人や先、今日ともしらず、明日ともしらず、おくれさきだつ人はもとのしづくすゑの露とよりもしげしといへり。」


【意味】

「いまだ万歳の人身を受けたりといふことをきかず」とは、「一万歳まで生きた人は誰もいませんよ」ということですね。

「たれか百年の形体をたもつべきや」というは、今は日本では90.526人が百歳以上だそうです。多いようなそうでもないような。

『御文章』を書かれた蓮如聖人の室町時代は平均寿命が二十歳から三十歳だったそうですよ。

それを思えば意味がわかることでしょう。

「本当に人間の寿命ははかなく、未だに一万歳の年齢を重ねたという人を聞いたことがありません。一生は瞬く間に過ぎ去ってしまいます。今に至るまで誰が百歳の肉体を保つでありましょうか。

自分が先か、他の人が先かわからない。

また、今日なのか、明日なのかわからずに後になろうがやはり次から次へと亡くなっていくお互いなのです。それは草木の根もとにボトボト落ちるしずくや、草の葉の先に宿ったつゆがボトボトと落ちるよりも早く、次から次へと人生を終えていく人の何と多いことか」という解釈ができるでしょう。


「されば朝に(あしたに)は紅顔(こうげん)ありて夕(ゆうべ)には白骨となれる身なり。」


【意味】

朝には元気な姿を見せていても、その人が夕方になればすでに亡くなっている場合も往々にある。これこそが諸行無常なのです。


「すでに無常の風きたりぬれば、すなはちふたつのまなこたちまちに閉ぢ、ひとつの息ながくたえぬれば、紅顔むなしく変じて桃李(とうり)のよそほひを失ひぬるときは、六親眷属(ろくしんけんぞく)あつまりてなげきかなしめども、さらにその甲斐あるべからず。」


【意味】

「桃李」とは、桃やスモモのことで、非常に華やかな様子を言い表します。人間の生きている間の元気な様相です。「亡くなられた時には」ということです。

六親とは、「父•母•兄•弟•妻•子」などを指します。広くは親族全体のことでしょう。

眷属も、親戚の意味です。

身近な親族たちが集まって嘆き悲しんだところで、亡くなった人は生き返ってこないということです。


「さてしもあるべきことならねばとて、野外におくりて夜半(よわ)の煙となしはてぬれば、ただ白骨のみぞのこれり。あはれといふもなかなかおろかなり。」


【意味】

いつまでもそうしておれないということ。

「亡くなったまま放置しておけないから野辺の送りによって、火葬にしなくてはなりません。」

「あはれ」というのは、「哀れ」「悲哀」。

「おろか」とは「言葉では表現やできません」という意味です。残った白骨を見つめますと、「何と哀れというか到底言葉では表現できませんね」


これが白骨の御文章の意味ですね。

いかがですか。

私も皆さまも生きているということは、そう遠くないときにこうなっていくお互いなのですよ。どこへ向かって生きているかを知りたいものですね。春のお彼岸はそれを訪ねる仏教行事でありますよ。


南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏


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