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執筆者の写真超法寺の住職

用意できましたよ!

日頃から通夜、法要等で浄土真宗で勤められています『仏説阿弥陀経』ですが、皆さまはいかに素晴らしい経であるとご存知でしょうか。


浄土真宗は、私[こちら]から仏にお願いする、そんな教えではございません。

むしろ、私がお願い[頼む]よりも遥か前から仏の側からお願い[目覚め]されているのです。


あなたの生きるその世界は真実な世界ではありませんよ。決して思い通りにはならない迷いの世界であることへの目覚めを促されているのです。


そんな中、悩み苦しみ、辛くなり生きて行くことをやめてしまいたくもなります。

思い通りになっていれば幸せで、そうでなければ不幸だと悲観してしまう、そんな生き方をされてはいませんでしょうか。


この世は夢幻のような世界なのです。

どんなに後悔しようとも過去には戻れません。

[今]この一瞬しか確かなことはないのです。

この一瞬を疎かにしたら全て後悔してしまう。


例えば皆さまも大好きなネットゲーム。なかなか相手が手を出さないとイライラしますよね。

それと同時に、私の大切な時間をその相手によって無駄な時間にしてしまっているのです。


また、会議などで平気で遅れてくる輩、彼らによって待たされる者は予定より時間が遅れることで、大切な時間を[無駄]にされてしまう。

人間世界は一日24時間しかないのですよ。

あっという間に過ぎ去るのです。


それでどれくらい生きれるのか考えていただきたいですね。また若い人によくあることですが[寝坊する]ことも、大切な私の人生を無駄にしているとは思いませんか?

起きていれば色々なことができたはずなのに寝て過ごしてしまうなんて。


今考えると私も若い時分は寝坊していましたね。

夜遅くまでダラダラとして過ごし、寝たいだけ寝ていた。挙げ句に大事な仕事に遅刻したりしていました。あ〜、情けない、恥ずかしいですがね。


人の大切な時間を奪っていたなんて。

いつも自分の都合ばかり優先して生きてはいなかっただろうか。


さて話が横にずれましたね。

話を戻しましょう。


生きるということは誰かに借りを作ること。

生きて行くということは誰かに借りを返すこと。

「永六輔」


阿弥陀さまは、『仏説阿弥陀経』でお釈迦さまの説法として【南無阿弥陀仏を称えて生きること】を勧めておられます。


【成就如是】(じょうじゅにょぜ)

これが4回出てきます。

《かくの如く成就せり》🟰用意できていますよ


私は何でもギリギリまでできない人です。

締切にならないと行動できないのです。


しかしながら用意ができていると安心じゃないですか。だから何事をしても用意と準備を大切にしたいものですね。


仏は、私の方から頼んだり願ったりしない先から既に用意されておられた、とは何とも素晴らしいことじゃないですか。

「用意できましたか?」と問われて、「はい、既に用意はできていますよ」と、言われたのが仏さま[阿弥陀如来]であります。


【全ての用意、準備は私[阿弥陀如来]の方で致しましたからご安心ください】と、私たちに喚びかけてくださいます。

【南無阿弥陀仏】の声がそれです。


これを素直に聞いて、受け止めていくにはなかなか大変です。私たち人間は「疑う生き物」ですから。

頑固です。しかしそれでも阿弥陀如来は、「まかせろ、救う」と、頑固な私が、疑い続ける私を、南無阿弥陀仏と喚び続けてくださいます。


どこまでも[悩み続ける]この私に、頑張っても悩みからは解放されないことを自覚して、我が名[南無阿弥陀仏]を称えて生きてくれよ、と願っていてくださるのです。


悩みと共にナンマンダブツに生きることで、私が私らしく生きていけるのです。


これでいいのだ!


南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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