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執筆者の写真超法寺の住職

生死出ずべき道

皆さま、おはようございます。

今朝は八王子市までお参りに来ています。

久しぶりに日が出る前にお寺を出ました。

最近朝イチが増えましたのが遠路が無くなりましたので久しぶりで嬉しい気持ちでした。


皆さまも貴重な休日を大切にお過ごしください。

近頃、こんなことを言われた方がありました。

「住職、お寺が暇って良いことですよね」

「えっ?どうしてですか、なかなか大変ですよ」

「だって亡くなられる方が少ないってことじゃないですか。」


なるほど、そういう見方をされる方があるのかと驚かされました。いつの間にか忘れていました。でもお寺はお葬式だけやっている訳ではないのがおわかりになられてはいないようでした。世の中にはさまざまな見方があるものです。どうしても自分を中心にしかものが見れないお互いです。

しかし、そのような中で真実【生死出ずべき道】を知る人生と、知らずに終えていく人生では全く生きていく意味が違ってきます。


私はこの苦悩から脱却する、ただ一つの道【生死出ずべき道】を皆さまにお伝えすることが我が使命だと思っています。


せっかく命を繋げることを許され、このブログも同じですが、この【生死出ずべき道】をご紹介することができることが我が使命であり、我が喜びでもあるのです。


私たちは死ぬまで自らでは煩悩(苦悩)から離れ、逃れる術を持たない【凡夫】(ぼんぶ)が命を終え、往生をさせていただくには、ただ南無阿弥陀仏(ナンマンダブツ)を声にいただく他は道はありません。

阿弥陀如来は、浄土真宗の人だけを救う仏さまではありません。

【凡夫】の命を南無阿弥陀仏一つで必ず往生させるはたらきの仏さまであります。


ここを間違って受け止めてはなりません。

私たちは例外なく皆、【凡夫】なのですから。

つまりは南無阿弥陀仏を称える私になるしか道は無いし、それをオススメくださっているのがお父さん、お母さんなのです。

私が南無阿弥陀仏を称えて生きていくことが親孝行となるのだと思います。

逆を言えば、そうならない私を喜んではくださらないと言うことにもなりましょう。


それでいいのか、はたまたいけないのかの選択は皆さまにあります。


私はおかげさまにて南無阿弥陀仏を称える私に両親のおかげでならせていただきました。

お父さん、お母さん有難うございました。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏


今日もお念仏を称えながら「今」を生きていきます。皆さまもどうぞ。

南無阿弥陀仏

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