生まれつきのまま
「念仏申さん者は、ただ生まれつきのままにて申すべし。善人は善人ながら、悪人は悪人ながら、本(もと)のままにて申すべし」[法然聖人]
私たち日本人は、儒教の影響なのでしょうか、人間は進歩向上しなくてはならないと信じています。これは本質的には人間否定の哲学であります。もっともっと良くならねばならないと、そんなことを考えていると、人生に楽しみがなくなります。
常にしかめっ面で生きねばなりませんね。
しかし仏教は、人間否定の宗教ではありません。
仏の慈悲というのは、無差別、平等だからです。
仏は善人も悪人も平等に慈悲の目で見ておられます。勤勉家を褒め、怠け者を叱るようなことは仏はしないのです。
(そうするのは恥ずかしい私たち人間なのです)
怠け者は怠け者のまま、南無阿弥陀仏とお念仏をすればいいのです。
怠け者が勤勉家になって南無阿弥陀仏を称えようとすることは仏の慈悲を疑っていることになります。
◉怠け者の自分を、そのまま仏はお救いくださるのです。
この理屈が信じられないから、怠け者をやめようとするのです。
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仏の慈悲を疑っている=裏切り行為
この理屈はいくら本を読んでもわからないです。やはり仏法聴聞していくしか近道にはなりません。
仏法聴聞を怠る人はいつの世も賢者を目指して自己安心していくのであります。
すればするほど阿弥陀如来の本願からは遠ざかっていくのです。
【聞いて忘れて 忘れて聞いて
わたしゃ籠耳 お慈悲の水に今日も一日ざぶり
と浸かり ご恩喜ぶしあわせものよ】
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏