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生き返らせる薬

子どもを生き返らせる薬


古代のインドにクリシャー•ガウタミーという女性がいました。クリシャーというのは「痩せた」といった意味で、彼女があまりにも痩せていたので「痩せっぽちのガウタミー」と呼ばれていたのです。


彼女には1人の男児がいましたが、その子がよちよち歩きを始めた頃、突然亡くなってしまいました。あまりのことにガウタミーは、その子どもを抱えて、「どなたか、この子が生き返る薬をください」と、舎衛城の街を狂乱になりながら歩き回っていましたが、誰もどうしてあげることができませんでした。


その時に祇園精舎から托鉢にこられたお釈迦さまが、「女よ、私がその薬を作ってあげよう」と言われて、ガウタミーは大層喜びます。

しかしお釈迦さまは、「その薬の原料は芥子種だ。これまで一人も死者を出したことのない家から芥子種をもらっておいで。そうすれば、その薬を作ってあげるから。」と言われて、ガウタミーは舎衛城のあらゆる家を尋ねて回ります。「あなたは死者を出したことはありませんか」と。


すると、どの家でも、「私は親を亡くしました。」、「私は子どもを亡くしました」、「私は孫を亡くしました」•••••。

どの家でも、愛する者を亡くして人々は悲しみを経験しているのでした。

そうして、家から家へ尋ねて歩くうちに彼女も気づくのでした。


私だけが悲しみに苦しんでいるのではないと。

この世は誰もが皆、死んでいかねばならない、悲しみを抱えながら乗り越えているんだと。


そして、お釈迦さまの元へ戻り、「お釈迦さま、もう薬はいりません。この子を静かに葬ってやります」と言いました。


お釈迦さまがクリシャー•ガウタミーに教えられたのは、子どもをそのまま愛しなさいということでした。子どもをそのまま愛するということは、死んだ子を死んだ子として愛するということなのです。


私たちはお互いに、頭の良い子どもの方が、良くない子どもより値打ちがあると考えます。

あるいは、醜い子どもより美しい子どもの方が価値が高いと考えるでしょう。

そういう物差しで子どもを測っています。

そのような物差しでは、死んだ子どもよりも生きている子どもの方が価値があるということになります。


ガウタミーは、そのような物差しで我が子を測り、死んだ子どもの価値が下がったから、低くなったから生き返らせて価値を高くしようと考えたのでしょう。


お釈迦さまはガウタミーに、あなたの持っているその物差しを捨てなさい。と教えられたのです。子どもの価値を高めようなどと考えてはならない。子どもをそのまま愛しなさいと教えられたのです。


皆さまはこの話をどう考えますか。

この世は無常です。無常とは、当たり前ではないという世の姿であります。

無常という言葉は知っていても、無常のいのちを生きているとは思ってはいないのではないでしょうか。

今日もあるし明日もある、来週もあるし来月も来年もある、そう思ってはいませんか。


まだ若いからとか、まだ元気だし、親もいるから仏事は任せているなどという方はとても多いように感じます。

縁が尽きれば、今でも今夜でも、寝ている間にでも命を終えていかねばならないお互いなのです。人間だからこそ遇える仏教の教えを聞かないで人生を終えることは、とても残念だと私は思います。


我が子を持たねば泣かずに済んだのに、そう思ったことはありませんか。

お釈迦さまが出家直前に我が子が生まれて、嘆き悲しんだという話がありますが、皆さまはどうですか、我が子が生まれて嘆いたですか。

きっと「万歳!」と喜ばれたのではないでしょうか。

しかし、お釈迦さまは無常観をお持ちでしたから、「ひょっとしたらこの子が死ぬ姿を見なくてはならないかも知れない」そう思ったら、泣かずにいかなかったのでしょう。


せっかく覚悟を決めて、国を捨て、親や家族を捨てて出家することを選んだというのに、我が子が生まれて決意が揺らいだのかも知れませんね。きっと複雑な気持ちではなかったのでしょうね。


今日のニュースだけでも、どれほどの子どもさんが事故に遭い傷つき、命を失くされたことでしょうか。そして、どれだけの親御さんが、ご家族が、親族が悲しみのどん底を味わったのでしょうか。明日は我が身かも知れません。

だからこそ、「今」私はどこへ向かって生きているのかを知っておく必要があるのではないでしょうか。


ありのまま、そのままを力強く生きていく道こそ仏教の教えに遇うことだと私は思います。

「まかせよ、救う」と喚び続けておられる阿弥陀仏のご本願に遇わせていただくならば、どんなに苦しいことに出遇っても、それを受け止め乗り越えていく道があればこそではないでしょうか。


浄土真宗のおみのりは、阿弥陀仏のご本願を信じ南無阿弥陀仏を称えながら、ただ我が人生を生き抜いていくのです。そのまま、ありのままであります。

往生していくいのちを生きていくのです。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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